四
数年ぶりに友人に連絡を取った。彼はバデーニの片手で足りるほどの友人のひとりであり、互いに用事のあるときにしか連絡をしないが、数年越しであっても昨日の続きのように本題に入ることのできる大変貴重な間柄だ。それでも、送信の際には毎回緊張が走る。今回もエラーメッセージが返ってくることはなく、無事送信に成功したためバデーニは胸を撫で下ろした。ちなみに、バデーニの友人カウントにはヨレンタや研究仲間は含まれていない。
研究棟から離れた図書館への道を歩く。クラボフスキに食事のお礼のメールを送って以来、たびたびこれではないかという候補が送られてくる。翌日には早速三つ候補が届いたときには、さすがだなと思ったものだ。これまでに挙げられたものは残念ながらどれも見覚えのないタイトルだったが、毎回確認はするようにしている。こういうとき、自分が速読のできる人間で良かったなと思う。
道すがら、ヨレンタに偶然出くわした。二週間前のような疲弊しきった顔ではなく、とりあえずいったんの山場は越えたのだろうことが察せられた。
「あれ、バデーニさん? 珍しいですね、このあたりにいるの」
「第五図書館へ行くところです。ヨレンタさんは?」
「私は次の打合せが薬学部棟なんです」
薬学部棟はバデーニの目的地のさらに向こうにある。示し合わせたように歩調がそろった。
「第五って文学部の隣にあるところですよね? なにか調べものですか?」
ヨレンタが不思議そうに首をかしげた。普段のバデーニならまず立ち寄ることのない場所なので無理もない。
「まあ……そんなところです。実は先日ご相談の件、恩師に会ってきて」
「ああ! ではお受けになるんですか」
陽ざしのような笑顔を向けられて、思わず苦笑する。問そのものには答えず、クラボフスキとのやり取りと今まさにここを歩いていた理由をかいつまんで話すと、ヨレンタの瞳がきらきらと輝いた。それから、口許に手をあててじっと考え込む。
「私もかなり節操なく読む子どもでしたけど、思い当たるものはないですねえ……」
そうだろうと思う。この世にいったいどれほどの書籍があり、書かれた文章があるのか、考えるだけで途方もない。ましてや断片的で不確かな情報だ。砂漠で一粒のダイヤモンドを探すようなものだとバデーニ本人も思う。
しかし、クラボフスキや彼の友人たちがともに頭を捻ってくれていると思うと、なぜだか諦めきれないのだった。自分自身でも様々に調べてみた成果とともに、彼らが挙げてくれる候補を確認してはフィードバックを送っている。これかと思ったが違った、この系統は近い気がする、確かこの出版社の雑誌が置かれていた、エトセトラ。
「おかげで、専門領域とはまったく関係のない知識が随分と増えました」
「ふふ、いいことじゃありませんか、楽しくて」
そんな話をしているうちに、薬学部棟はこの角を左に折れたほうが近道というところに差し掛かった。なんとなく二人で立ち止まる。
「うーん、私もちょっと調べてみますね。よかったらこれまで確認した本のリスト、私にも共有してもらえませんか」
ヨレンタもクラボフスキも、他人に手を差し伸べることにてらいがない。もちろん仕事となれば得るべき対価はきっちり得るヨレンタだが、彼女のそういう一面はきっと成長のなかで身に付けざるをえなかったものだろう。もちろんその側面も、彼女自身にほかならないのだが。
「お忙しいでしょう」
「いえいえ。だって気になるじゃないですか、バデーニさんをかたちづくった本。私も読んでみたいです」
ヨレンタが微笑んだ。現在進行形で、自分は他人の厚意に助けられている。本人たちは口を揃えて自分が気になるから、自分が知りたいから気にしなくていいと言って笑うが、結果として自分は多くのものを受け取っている。それに甘えるばかりではいけないと思っている、のに、自分には彼らに返せるものがないとも思う。
結局、会話が途切れたところでその場はなし崩しに別れた。再びひとりになり、大股で歩く。ポケットのなかでスマートフォンが震える。取り出すと友人からの返信が届いていた。海のものとも山のものとも知れない他人に心を砕くなんてどうしたんだ、とおもしろがる書き出しの割に、自分でいいなら相談でもなんでも付き合うよと快い返事が書かれていた。
クラボフスキへの相談でも、友人へのメールでも、ヨレンタとの会話でも、内心では引き受けるべきだととっくにわかっているのに、この期に及んでまだ、やると明確に回答することを躊躇っている。本当に自分でいいのか、という迷いを捨てられないからだ。あるいは、他者に影響を及ぼすことへのおそれを、初めてまざまざと認識したからかもしれなかった。
踏ん切りのつかない、煮え切らない自分自身が一番嫌だった。学会ならばこんなに悩まなくて済んだのに、とバデーニは何回目かのため息を吐いた。
事態が急転したのは、クラボフスキやヨレンタとのやり取りを数往復を重ねた頃だった。
候補が届くたびに毎回読んでみるも、なんだかこれではないなと思う。信頼する人々が探してきてくれるものというだけありどれもおもしろいのだが、それゆえに申し訳なさが募る。これだと適当に言おうかとも一瞬考えたが、誠意に欠けるからそれもできない。次の返信でもう大丈夫だと丁重にお断りして終わりにしよう。ヨレンタから学内のチャットが届いたのは、そのときだった。
「お疲れさまです。ソクラテスの弁明とクリトンは読みましたか?」
よく見ると単語の綴りが間違っている。彼女にしては珍しい誤字に、慌てて打ったのだろうかと首をかしげつつ返信を打っていると、送信する前に重ねてリンクが届き、それから書籍情報が送られてくる。馴染みのない出版社だなと思っている間にも、シュポシュポと次から次へとチャットが流れていく。最初の質問の返事をしていないにもかかわらず届いたヨレンタの断定口調に、つい笑ってしまった。その通りである。
「たぶんバデーニさんが読んだのってここのじゃないですよね」
「初学者向けの解説つき、ていうかそれがメインの本なんですけど」
「もしかしたらドゥラカがこれじゃないかって言ってます」
ヨレンタさんもわざわざ友人に聞いてくれたのか。そう思いつつリンクをクリックすると、個人の読書ブログに飛んだ。わかりやすかった、哲学者も同じ人間なんだなと思った、と内容は短い感想だけにもかかわらず、文末には発行情報がきちんと書いてある。おそらく他人が見ることをあまり想定せず、自分の読書の備忘録として書いていたものなのだろう。記事の日付は十年前で、ブログ自体の更新は八年前で止まっていた。
記事に戻る。発行年はバデーニの生まれる数年前だ。ずいぶんと古い本だ。大学の蔵書検索システムを立ち上げて著者名を打ち込んでみるが、ヒットはない。
チャットに目とカーソルを戻し、読んだことのないものだと正直に書き込む。送信ボタンを押しかけて、手を止めた。一部を消し、丁寧に追記する。
「ありがとうございます。こちらは読んだことはありませんが、確認してみます。なお、これ以上は本当にお気遣いなさいませんよう。ご尽力に感謝します」
すぐ既読にはなったが、ヨレンタからの返事はない。そのことに少し安堵しつつ、チャットを閉じて再びブラウザに向き合う。ここのところすっかりお馴染みになった図書館横断検索サイトをブックマークから呼び出し再び検索をかけると、一秒もたたずにずらりと結果が表示された。
それにしても、便利な時代になったなと思う。ボタンひとつであらゆる情報が簡単に手に入ってしまう。嘘も真も玉石混淆の情報の奔流。だからこそ、こうして惜しみなく手助けをしてくれる信頼できる周囲の人間や、専門家やプロフェッショナルのありがたさが改めて身に染みて感じられた。現に、本のタイトルや著者がわかれば容易に検索できるが、バデーニひとりでは確実にこの本にはたどり着けなかっただろう。
件の本は、運良く近隣の図書館で貸出可能らしい。バデーニは椅子にもたれかかり、壁の時計を見た。閉館時間までにはまだ余裕がある。手元には相変わらずタスクが積み上がっているが、今日明日と一刻を争うようなものはない。天気も悪くない。別に今日行かなければいけないわけではないが、明日以降にしなければならない理由もない。何より、ヨレンタらしからぬ慌てた様子のメッセージが頭の奥に引っ掛かっていた。
経験上、こういう時は勢いに任せて動いたほうが後々良いように働く気がする。一瞬の逡巡を打ち消したバデーニはパソコンを閉じて荷物を掴み、弾かれるように研究室を飛び出した。
館内は天井が高く、年季の入った建物の割に中はきれいだった。明るい空間に、遠くから聞こえる波音のように、人の声やページをめくる音、足音などのざわめきで静かに満ちている。一つひとつの机が広い。利用者がそれなりに多いのも頷けた。心地よい空間だった。
はじめて訪れる図書館だったため書架の位置関係がわからず少々手こずったバデーニだったが、中年の男性職員が案内してくれたおかげで、無事に目当ての本を見つけ出すことができた。本棚から遠く人通りの少ない場所に窓際の光がやわらかく差し込む席を見つけ、腰をおろす。あらためて、まじまじと表紙を見つめた。
タイトルのみが書かれたシンプルな表紙だ。訳者および監修者として並んでいる名前は二名。訳者による前書きに目を通すと、どうやら文学的観点からの監修者が書評も書いているらしい。前書きにはその監修者に依頼するに至った経緯も書かれていた。なんでも、酒場で偶然同じ星好きとわかり意気投合したのちに、互いが翻訳と執筆を生業にしていることを知ったのだという。それからは飲み友達兼星友達として長年交流を重ねるも仕事を共にする機会はなく、ようやくこの本で協働することになったらしかった。
わずか数ページの訳者前書きは、次の文で締めくくられていた。
──星が過去から届く光ならば、文字は未来に届く光といえよう。本書が地層のように積み重なる数千年の歴史に思いを馳せる一助となれば幸甚である。
ここにも引き合いに出すとは、この訳者は本当に星が好きだったのだな、と思わず笑みがこぼれた。顔も声も人柄も知らない相手なのに、自分と同じように空を見上げていたのだろうなと思うと、なぜかそれだけで親しみを感じてしまう。これまで本の向こうの生身の人間の存在を意識くることはほとんどなかっただけに、不思議な気持ちだった。
ページの三分の二ほどは「ソクラテスの弁明」そして「クリトン」の訳文だった。真剣に向き合うには速読では到底足りない内容だが、今回の主目的を鑑みてざっと文章の字面だけを確認していく。初めて哲学に触れる人にも読みやすいように平易な表現になってはいるが、本来の意図を適切に汲んだ丁寧な訳だ。書いた人間の真摯な仕事が伺えるものだと思えた。
残る三分の一が監修者による書評となっていた。書評というよりも、親しみを感じてもらうことを第一としたエッセイのような語り口である。そのためか監修者自身が最初に哲学書を読んだときの混乱の様子も書かれており、小さく吹き出してしまう。つられて、バデーニが子どもの頃に初めて思考という迷路に迷いこんだときのことを思い出す。誰もが通る道ということだろう。
読みやすいのに、不思議と引き込まれる文章だ。それでもやはり、これも幼少期の自分が読んだことのあるものではない。最初から無理のある話に大勢を巻き込んでしまったなとあらためて申し訳なさを感じながらも読み進めていく。ページをめくる。次の瞬間、バデーニの指が止まった。
──けれど、もし論理によってではなく感情のままに引き止めていたら、結果は違ったのではないだろうかと、私は思ってしまう。正しくなくてもいいから、ただあなたに生きていてほしいのだと。そうしていたら、彼は友の説得のままに脱獄することを選んでいただろうか。
しかし、同時に私は考えざるを得ない。たとえ命が永らえたとしても、それは彼の信念の、彼の尊厳の死なのではないか。だからこそ彼は友の言葉に決して頷かなかった。友も、きっと心の底ではわかっていたはずだ。彼が自分の言葉を受け入れる気はないと。彼らは無二の友であったのだから。わざわざ牢屋の番人に心付けを渡しては獄舎に通い、そして穏やかに眠っているソクラテスを見たとき、クリトンは何を思ったのだろう。一体どんな気持ちで彼を起こさず隣にいたのだろう。夜明けの空は彼らからも見えたのだろうか。
頭を殴られたような衝撃だった。「ソクラテスの弁明」も「クリトン」も、もちろん読んだことはある。それこそ何十年も前に。それでもバデーニはソクラテスの論に注目するばかりで、置いていかれたクリトンの心情を思うなど考えもしなかった。二千四百年前。ずっと昔のことだが、「北極星」に相当する星がゆっくりと変遷するおよそ二万五千八百年の周期に比べたら、すぐこの間と言って差し支えのない時間だ。今の自分達と同じように、こぐま座α星を仰ぎ見ていた彼ら。
声は聞こえないのに、文字を通して語りかけられているようだと感じた。文字も音楽も星の光も、容易に時を超える。この文章を書いたのがどんな人間だったか、きっとその答えは一生わからないのに、それでも伝わってくるものがあった。彼が何を受け取ったのか。彼が、何を伝えようとこれを書いたのか。
電流が駆け抜けたあとのように、指先が震える。進んだページを戻り、最初から読み直す。彼に文才があるのか、バデーニにはわからない。聞いたことのない名前なのだから、歴史に名を残すような作家というわけではなかったのかもしれない。それでも、自分の胸の奥が静かに揺さぶられるのを感じていた。初めて望遠鏡を覗き込んだときのように。あるいは、二十一世紀最大の火星の大接近に立ち会ったときのように。出会えてうれしいという、シンプルなよろこび。
いつの間にか、日が落ちて机に射す影が伸びている。最後の一段落の文字をなぞった。
──幸いにも、我々は彼らのように命を懸けずとも真理を追い求められる時代に生きている。しかし彼らもまた、悩み、迷い、考えながら生きていた我々の隣人であることに変わりはない。先達たちの思索の海は深く、果てはないが、本書がその波打ち際への道案内の役割を果たせたならこの上ない僥倖である。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。本を閉じ、表紙の名前をそっと指でなぞる。やはり今日初めて見る名前だ。それなのに、これだ、と思う。クラボフスキやヨレンタが見つけ出そうとしてくれている本そのものではないのに、それでも、自分が探していたのは、あの頃の自分を広い世界へと開いてくれたのは、きっとこういう言葉だったのだと。
「……」
ようやくまた出会えた、と思った。感情がさざめきのように広がって、じわじわと視界が揺らいだ。窓から差し込む夕方の日差しで、空気中のほこりがきらきらとひかる。目の奥に力を込めて、バデーニはそっと本を抱き締めた。
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