戦う祓魔師さん
バックヤードに入った瞬間、なんとなく嫌な予感はしたのだ。
それは燐も同じだったようで、ちらりと後ろを走る志摩を振り返ってなんともいえない顔をした。志摩が目線だけスッと前に向け、それから燐へと視線を戻す。燐はこくりと頷いてからもう一度前を向いた。アイコンタクトは無事に伝わったらしい。
デパートのバックヤードは煩雑に段ボールが積まれており、通路は人ひとりぶん程度の幅しかない。倶利伽羅と錫杖という長い得物を使う二人にとってはとてつもなく不利な場所だ。しかも積み方が雑なので何回も角に肩がぶつかり、これが地味に痛い。さっきからたびたび燐がする舌打ちに、志摩が走りつつも苦笑していた。どこにあるかわからない足下の解体されつぶされた段ボールも厄介このうえない。不用意に足を乗せるとずるっとすべり、上体がぐらりと揺れる。そして左右前後に振れた肩が段ボールにぶつかり、運が悪ければ雪崩を起こして自ら細い通路を塞いでしまうというわけだ。即戦えるよう準備しておくよりも、今はこの通路の障害物を避けることのほうが重要だと判断した志摩は、早々に團服の内側に錫杖をしまいこんでいた。
志摩と燐の前を走る、このデパートの四階のフロア責任者――に憑依した悪魔は、どうやら少しは頭の働く奴だったようだ。フロア責任者となればバックヤードは当然熟知しているはずで、その走る速度は全く落ちない。本人の記憶も使えるとなると質が悪い悪魔だ。
「外!」
「わかってるよ!」
この入り組んだバックヤードを走り続けても二人を振り切りきれないだろうことを察したらしく、フロア責任者の体を乗っ取った悪魔が段ボールの角を左に折れると突如左奥に現れたドアを押し開ける。
「うげ」
しかも、どうやら複数の人間に憑依できるらしい。バックヤードから外に出た二人を待ち構えていたのは店員の制服の男四人だった。その先に、フロア責任者が走っていく背中が見える。
「頼む!」
「任しとき」
走っている間のアイコンタクト通り、燐が立ち止まった志摩の横を走り抜けた。
だらしなく口を開け、ううともああともつかない呻き声を漏らしている男たちは燐には見向きもせず、志摩の周りをじりじりと取り囲む。
「もー、こういう役割いっつも俺やん」
男が志摩に殴りかかった。すっと顔を左に逸らし、一瞬左足に体重を乗せ沈みこんでから背中のバネを使って一気に右手を男の鳩尾に叩き込む。
「奥村くんもっと対人戦法学んだ方がええんちゃうかなあ」
一発で一人を沈めた志摩の声は、燐を非難しているようで、それでいて少し楽しそうだ。
相手が四人、いや、既に三人しかいないのなら、素手でやりあったほうが早い。
「さ、ちゃっちゃと済まそうか」
「グアアッ」
叫びつつ襟元に掴みかかってきた男の右手首を右手で掴んで捻り上げ、手の位置を固定したまま男の肘をグッと下へと落とす。がくりと膝を地面についた男は、しかしその反動ですぐさま立ち上がった。そこへすかさず左のハイキックを蹴る。左足を地面に下ろさず、そのまま右足で地面を蹴って一気に前へ。着地の瞬間に左足に体重を移し、右足で鳩尾をまっすぐに蹴りあげる。直角に立てた足先が、体を抉る感覚。上体が揺らぎ、無防備に晒された首筋に手刀を降り下ろした。その直後別の男が左から繰り出してきた掌拳を左腕で止め、すぐさま脇腹に足刀を叩き込む。
「うグッ」
苦しげな声を漏らし、男が空気の塊を吐き出す。操られているとはいえ相手の体は生身の人間であることを思うと少しの申し訳なさが志摩の頭をよぎるが、まあこの程度ならせいぜい痣ですむだろう。
そんな痛む良心も知らず、男は下へと落ちた重心を利用して志摩の足を払おうとする。くるりと身を回転させ、必要最低限な高さだけ浮かせた右足で足払いをかわす。瞬間左手を掴み、相手の脇の下をくぐり抜けると同時に男の背中側で左腕を捻りあげる。ポキ、となにかが折れるような音。
(やば)
すぐさま捻りあげていた腕を離し、顎へと熊手を食らわせる。左腕はだらりと垂れているものの、どうやら脱臼させてはいなかったようだ。ほっと安堵の溜め息を吐く。打撲以外の怪我はさすがに面倒だ。
最後に残った男はやけくそにでもなったのか、うなり声をあげながら志摩の動きを封じようと後ろから抱きついてきた。しかし抱きつかれた瞬間に両肘を張って相手のホールドを少し緩め、ほぼ同時に右腕を掴み肩越しに投げる。背中から地面に落ちた男は衝撃で少しだけバウンドした。
のされた男たちは、もう立ち上がる気配もない。心のなかではゴメンナサイと謝りつつ、特に息も乱れていない志摩は燐の後を追うことにした。
「早かったじゃん」
振り向くことはせず、燐が呟く。本体を追っていった燐は無事に駐車場へと誘い込むことに成功し、今は柱の陰から相手の出方を伺っているのだった。
「後ろから抱きつかれたー」
「げ。あそこにいたやつ?」
「うん」
「ゴシューショーサマ」
心底自分は残らなくてよかったというような顔をし、燐が志摩を横目で見る。
「もー、毎回他人事だからって奥村くんは」
「肉弾戦の志摩すきだけど?」
「あーもーありがとう! たまにはお姉さんに抱きつかれたいわ」
「浮気者」
「なんとでも」
脊髄反射の会話を繋ぎつつ、本体から目を離すことはしない。
辺りを見回しても二人の姿を認めることのできない本体が、二人に背を向ける。
「いくぞ」
「奥村くん、消毒」
「帰ったらな」
いきいきと燐の瞳がきらめく。飛び出しやすいように志摩が腰を浮かせる。一拍早く、姿勢を低めたまま燐が思いっきり地面を蹴って、一気に加速し、相手の懐へ。倶利伽羅を抜く。
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