靖友がすきだ。紛れもなくすきだ、というか、それはもう純然たる事実として自分のなかに存在している。実際のところ私はとっくの昔に靖友にフラれているのだけど、なんというかそれはそれ、というか、まあしょうがない、というか。つまり、そういうところとはもう完全にかけ離れたところで私は靖友のことがすきで、もはや、靖友がそれを受け入れてくれるとかくれないとか、正直どうでもいいの。どう思おうが、すき。たぶんそれはこれからも変わらないんじゃないかなと先のことがわからないなりに考えてたりする。で、私は靖友のことがすきで、私は靖友にフラれていて、靖友が私のことを恋愛対象として見ることはたぶん永遠になくそれを私はわかっていて、そのうえで私はまだやっぱり靖友のことがすきでそれを靖友に言い続けていて、靖友は私が思ってることとかを知ったうえで私にすきだと言わせておいてくれていて、けど、靖友にその気はまったく、まっっったくないわけじゃない?
えーっと。ごちゃごちゃ言ってるけど。なにが言いたいかって、つまり、えーっと、そう、靖友がすきなんだけど。
と、靖友に言ったら、すごーく嫌そうな顔をしながら頭をはたかれた。
「しつけえ」
「そんなこと言わないでよ~」
頭をはたくといっても、こう、尽八にやるような渾身のやつじゃなくてぺしっとかそういう可愛らしい擬音のやつ。なんだかんだ女の子扱いしてくれるところが優しい。なんなんだ靖友。すきだ。
今日の靖友は紺のフードつきのトレーナーにベージュのチノパンという、らくちんなかんじの服。だけど、そんなラフな私服もよく似合っててかっこいい。なんなんだほんとに。対する自分はといえば、この間マネキンが着ているのを見て一目惚れして全身買いしたコーディネートにこの春新しく買った七センチのヒール。新しくないのは下着とストッキングとガードルだけ。そんな、私的には最大限のおしゃれをして今日ここへきたわけで。何日も前からなに着ていくか考えたり、悩んだり、クローゼットから服を引っ張り出しすぎて部屋がごちゃごちゃになったり、決まらなすぎて買い物にでかけたり、そんなの、もう長らくなかったことだ。そういうことにエネルギーを惜しみなく費やせるくらい、私はもうずーっと、約束を取りつけたその日から、今日靖友に会うのを楽しみにしていたのであります。
二月の半ばを過ぎてはじめての冬の試験が終わって春休みになって、靖友は横浜の実家に帰ってきた。私は週末とかにちょくちょく家に帰っていたから、まとまった帰省! というものはしていない。靖友が帰ってくるっていうのをハコガクのグループラインで知って、すぐさま個人ラインに切り替えて久しぶりに会おうよ、二人でごはんとか行こうぜ! と送った。それからもう一度グループラインに切り替えて、靖友帰ってくるしみんなで集まろうよ! とスケジュール調整用のURLをぺたりとはりつける。靖友からは四時間後にまず個人ラインの返事がきて、すこしやりとりして日付を決めて、そのあとグループラインに「書いた」とそっけない三文字が送られてきた。どきどきしながらURLを開くと、さっき二人で約束した日はちゃんとバツになっていて、私はベッドに飛び乗り口に枕を押し当てて足をばたばたさせながらちょっとだけ叫んだ。
今日のお店はお昼にピザとパスタの食べ放題をやっているおしゃれで、でもお値段はとっても学生のお財布にやさしいところ。本当は夜とかちょっとリッチなところとかも二人で行ってみたかったんだけど、それは靖友乗り気になってくれなさそうだな、と思ったからやめた。二人でおなかいっぱい食べられたほうが幸せだし。焼きたてのピザにはふはふ言いながら、これで食べ放題かよ、すげえ、と靖友が目をきらきらさせてくれたからやっぱりこっちにしてよかった。と思う。
「なに、新開もう食わねえの?」
「まだ食べるよ! ちょっと休憩」
新しいピザには手を伸ばさずスープ(ちなみにスープもおかわり自由だ)を飲んでいる私をちらりと見て靖友が言った。靖友はふうんと頷いてまた手元のクアトロフォルマッジに視線を戻す。最初私が頼んだときは「なんでチーズにハチミツかけんの!? 邪道だろォ」と眉をひそめていたくせに、一口食べると「うめぇ……!」とすごく悔しそうにしていて、私は不意打ちですごくきゅんきゅんしてしまって、クアトロフォルマッジのおいしさよりもそれが悔しかった。
すこしでもスタイルよく見せたくて締め付けがきついほうのガードルをはいてきてしまったせいで、ちょっとだけおなかが苦しい。
「そういやこないだ騒いでたレポート間に合ったのかよ」
「あ、うん、なんとか。ちょっと危なかったけど」
「必修とかちゃんと落とすなよ、福ちゃんに迷惑かかんだからさ」
「わかってるってば!」
もー! なんてちょっとすねてみせながら、靖友がそんなことを覚えてくれているというのが驚きだった。覚えてくれてたんだ。寿一に迷惑かかるからっていう理由であっても、それだけでもうれしい。
「靖友は? やっぱり理系は実験とかたくさんあるの?」
「まァ、あるっちゃあるけど、まだ研究室配属前だし。そんなやばくねえ」
「じゃあ大変なのはこれからかぁ」
「けどわかってたことだし言ってもしょうがねぇよ」
そう言って靖友はピザの耳をぱくりと一口におさめてしまった。さっくりと言いきる靖友、そういうすっきりしたところ、本当にかっこいいと思う。やるべきことはちゃんとやる、自分で選んだことに言い訳しない、人にも厳しくて自分にはもっと厳しくて、でもちゃんと他人を思いやれるひと。
すきだなあ。と思ったら、声に出てたらしい。靖友は眉をしかめて私を見てた。
「おまえほんといいかげんにしろよ」
「……そんなふうに言わなくたっていいじゃん」
「オレは新開の彼氏に刺されるのはごめんだ」
「そんなことする人じゃないもん!」
そんなことするような人だったらもっとさっさと別れてるもん。そんな程度の人になんか大事な靖友の話しないもん。それは口には出さないけど。
靖友はあきれた顔をしながらオレンジジュースを飲んだ。(ベプシはなかったのだ、ドリンクバーのラインナップを見たときチェック不足だったと悔やんだ)私はなんだかかなしくなって、ごまかすようにスープに口をつけた。
「今度はなにがあったんだよ」
「なんでそんなこと言うの」
「これまでのケイケンからァ」
余裕たっぷりにそう言われてしまったらどうしようもない。抑えてたもの、なんとかうまくやりすごそうとしてたものがどろりと溢れだしてくる。なんなんだ靖友。なんでそんなこと言うんだ。普段からなんて全然連絡とってもないし、私のことなんてどうでもいいみたいに言うくせに、なんでそんなこと言うんだ。
「もうやだあいつ……」
スープカップをおいて、テーブルに視線を落とした。靖友はなにも言わない。なんでもないような顔で、追加のマルゲリータを店員さんに頼んでいる。
「で、どーしたわけ」
「……なにがあったわけじゃないんだけど」
「おー」
「ちょっと、レースと、レポートと、試験と、いろいろ重なって、そのときにいろいろ思うことあって。めんどくさい。自分のことばっかり。私のことなんて考えようともしない。もうやだ、疲れた」
「連絡まめにしろとかそういうヤツぅ?」
「だったらまだまし。夜遅くに寮まで一人で歩いて帰るって知ってるけど心配するって頭がそもそもないもん」
「おい、暗い近道とか通ってねえだろうな」
「通ってないよ! ちゃんと、明かりがついてて人それなりにいてお店とか遅くまでやってる道で帰ってる」
ほら、付き合ってもないのに、靖友はちゃんとそういうことを心配してくれる。それは、靖友が妹ちゃんが二人いるお兄ちゃんだからなのかもしれない。でもそれが本当に大事なことなのかもしれない。結局、家族はどんな人たちでどういうおうちでどういうふうに育ってきたかが一番大事なことなのかもしれない。
「ほかにもいろいろあるけど、そのときにムカつきすぎてもう忘れちゃった」
「いい性格してんなァ」
「けど、やっぱり、自分が一番なんだなって、それはもうずっと思ってる。私もそうだから、人のこと言えないけど」
私だってそう。靖友にきっぱりフラれて、振り返ってくれる見込みも追いかけるだけの元気ももうなくて、それで、不毛な恋をするのはもうやめようと思ったのだ。
靖友はふうん、とさして興味なさそうに呟いた。そのとき、タイミングよく次のピザが運ばれてきて、気まずい間を埋めてくれた店員さんに私はすごく感謝したい気持ちになった。
「しんかァい」
「ん?」
「おめー、前より食わなくなったァ?」
「へ? そんなことないよ、なんで?」
「いや、バカみてーにひたすら食ってた印象しかねえから」
「そんな! バカみたいにって! ひどい!」
「そうかよ、んじゃまあいいけど」
食わねーと体持たねえんじゃねえの、おまえ燃費悪いんだし特に、と言いながら、靖友は慣れた手つきでピザをきれいに八等分にする。今日のためにがんばって早起きして、最後に使ったのいつだろうレベルのこてを引っ張り出してきて、悪戦苦闘しながら巻いた髪。だけど、もういいや。ばかみたい。靖友がなんか言ってくれるはずもないのに、なんか言ってほしかった、でも、そんな程度のことで、ほんと、ばかみたい。かばんのなかからシュシュを取り出してざざっと手櫛でまとめる。ガードルに締め付けられる胃が苦しくないようにしゃんと背筋を伸ばして、髪をとめるために上を向く。たぶんあんまりきれいに結べてないけど、高校の最初のころも汗でどろどろの顔も見られてるんだし今更だ。おいしいもの、食べたいものを、たくさん、食べたいだけ食べてなにが悪いっていうんだ。
「休憩終わり、後半戦はこれからなんだから」
「食いすぎて太んなよ」
「食べたぶん動いてるからいいんですー」
はふ、と大きな口を開けて食べるマルゲリータはちまちま食べるよりよっぽどおいしい。高いお店でも特別おしゃれで内装の凝ったお店でもない。けど、ここ一年で行ったお店のなかで一番おいしい。食べ始めたら止まらず、あっという間に二人でぺろっと一枚平らげてしまって、追加注文は私が頼んだ。
ラストオーダーで頼んだ最後の一枚もあっさりとおなかにおさめたあと。おいしかったあ、と椅子にもたれかかりながら、いま確実に胃ふくれてるなーと思った。けどどうでもよかった。落ちてくる髪を気にして何度も耳にかけたりすることなく、食べたいだけ食べたのなんていつぶりだろう。
「ひさしぶりにちゃんとおなかいっぱいだあ……!」
「嘘くせ」
「嘘じゃないよ!? 一緒においしいおいしいって食べてくれる人、いままわりには寿一しかいないもん」
「んなこと言って彼氏にいーとこ連れてってもらってんじゃねーの」
「んー、いや、」
「んだよ」
「えーっと、おしゃれだけど、その……かわりにだいたい量は少なくて……」
「ハァ!? なにやってんだバッカじゃねーの」
靖友は昔から、私が食べない、ということにすごく敏感だった。メンタルにきたりバイオリズムだったりであんまり食べられないときがあると一番に気づくのは靖友で、もちろん尽八も寿一も気にかけてくれるんだけど、真っ正面からスパーンッて怒ってくれるのはいつだって靖友で。だからまたそういうことかと思われたんだろうなって簡単に想像ついて、私は慌てて違う、違うの、と首を振った。
「毎回じゃないの。おなかいっぱいになれるときもあるし。ただ、あーまだ足りないなーって日はね、えーっと、言いにくいんだけどな……」
「もったいつけんな」
「帰ってからなんか食べたりしております!」
だからね、ちゃんと食べてるよ! 野菜とかもちゃんととってるよ! と慌てて付け加えるけど、靖友は一気になんともいえない顔になって、おまえさあ……と深刻なため息とともに呟いた。
「や、靖友……?」
「おまえ、ハァ……、ほんとバカだろ……」
「えっ、な、なんで」
「んでそんな野郎かねェ」
「えっ!? 靖友!?」
頬杖ついて気だるげにため息をつく靖友に心臓が忙しくなる。こんなの、どきどきしないほうがおかしい。
「そいつのことそんなに好きなのかよ」
「……いい人だよ」
「どーせまた告られたから付き合ったとかそーゆーやつだろ」
「えっ……寿一から聞いた……?」
「聞いてねーよ! なんでオレがわざわざ福ちゃんにてめーの話聞くんだよ!」
「靖友のツンデレいただきました!」
「うぜぇ」
「ひどい!」
「ハァ、ほんとめんどくせー……、めんどくせーからァ、いいかげんちゃんとした男と付き合えバカ」
「じゃあやすとも付き合って!!!」
「ぜってえヤダ」
本当に嫌そうな顔で言うから、私は思わず笑いだしてしまったけど、笑ってないと泣きそうだったから笑いすぎて涙でてきたことにしてごまかすしかなかった。
靖友はやさしい。いつまでたっても恋愛対象として見てはくれないけど、待ち合わせの五分前に着いたら当然のようにもうそこにいたし、一緒にいるときは道を調べるときと時間を見るときくらいしかスマホを見ないし、道路を歩くとさりげなく外側に回ってくれるし、お店では自分はさっさと通路側の椅子に座って私を奥側のちょっと広い席に座らせてくれるし。そういうこと、全部、靖友にとっては当たり前なんだろう。妹ちゃんやお母さんをずっと大事にしてきた靖友にとっては、それが自然。いまだって、バカとかうぜぇとかめんどくせーとか散々な言われようだけど、私のことちゃんと心配してくれてるからだ。
「まあ、まだ一年たってないし、もうちょっとはがんばってみる。彼氏なんて、自分が自分らしくいられるようにうまく操縦するものよ、って先輩も言ってたし」
「勝手にすればァ」
なんで、私のことを好きだって言ってくれる人は私の一番すきなひとじゃないんだろう。悲しいとか切ないとか通り越して、もはや純粋に疑問だ。なんで私が一番しっくりくるひとにとっての一番しっくりくる人は私じゃないんだろう。なんで彼氏より誰より、一番靖友の家族のことを知ってるんだろう。妹ちゃんのお名前も、誕生日がいつ頃かも、お父さんとお母さんはサザンとユーミンが好きなことも知ってるのに、なんで私は家のことをほとんどなにも知らない人と付き合ってるんだろう。
大恋愛なんて夢物語だ。路上ライブから国民的大スターへ、くらいの確率だ。宝くじ買って一等賞くらいの確率だ。一途に思い続ければいつか叶うそんなハッピーエンドなんてフィクションだ。現実はもっと打算的で、一番すきなひとじゃない人と付き合ってる女の子なんてごまんといるはずだ。
靖友がすきだ。付き合う付き合わないとかそういうところからは完全にかけ離れたところで私は靖友のことがすきで、もはや、靖友がそれを受け入れてくれるとかくれないとか、正直どうでもいいの。どう思おうが、すき。それにかわりはない。ひととしてすき。靖友に素敵な彼女さんができたらぜひ会ってみたいし、靖友の口からのろけ話とか聞いてみたい。それもこれも、みんな本心。辻褄があってないようで、でもみんな本当に思ってること。
「ねえねえ、靖友は? 彼女できた?」
「いたらきてねーし」
「あっそれ、私だってちゃんと今日言ってきてるもん、浮気とかフジツなあれじゃないもん」
「へーへーそうかよ」
「てか、そもそもなんで今日あっさりオッケーしてくれたの? 断れるかと思ってたのに」
「断ったら新開泣くだろ」
そんなとんでもないことを、なんでもないように言ってのけるから。
本心だ、付き合う付き合わないとかもはやどうでもいいレベルに達してて、靖友は絶対に私のことを恋愛対象として見てくれることはなくて、靖友のことが本当にすきで、だから、靖友ののろけ話とか聞いてみたいって、本当に思ってるのに。
靖友が悪いんだよ。なんでやさしくするの。なんで、誰も足を止めてくれないけど路上ライブし続けてる私にもスカウトの手が差しのべられる可能性があるかもしれないよって、そんなこと思わせるようなこと言ったりやったりするの。
だから、もう、開き直っちゃった。私はたとえ当たらなくても宝くじを買い続けることにする。いま決めた!
「? 新開?」
「な、なに」
「変な顔してんぞ」
「変!? どのへんが!?」
「言わねー」
「ちょっと! 靖友!」
楽しげに笑いながら、靖友は残りのオレンジジュースを飲み干した。いっぱいになったおなかを少し引っ込めてみる。まずはもうちょっとおなか引き締めよう。ヒールでもきれいに歩けるように、もうちょっとヒールも履いたりしよう。おしゃれでかわいい洋服が着こなせるように雑誌とか読んでみよう。さぼらないで、髪巻く練習しよう。
不毛な恋はもうしないって決めた、自分が追いかけられる側になる恋しかしないって決めた。だから普通に二番目に好きな人と普通に付き合ったりもする。一方で一番すきなひとにちまちまと連絡をとって、すきだって言い続けて、でも、そもそも見込みは限りなくゼロに近いって思ってやってるから悲しくなったりもへこんだりもしない。でも、ゼロじゃないから。ただただ、靖友を落とすための足場を地道に、着実に積み重ねていく。それって、女の子にとって普通のことでしょ?
素敵な女の人なら勝手に男のほうが寄ってくるもんだよって昔悠人が言ってた。だから、まずはできることから、自分を磨くところから。いますぐじゃないけど、必ず仕留めてみせるよ。待ってろ靖友、いつかその日がきたら、絶対、ぜーったい、すきだって言わせてやるんだから!
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