埠頭を渡る風
送ってくよ、と言った燐の言葉に甘えて、一緒に電車で帰ることにした。志摩が各駅がいい、と呟くと、燐は少し笑って頷いた。
学生の帰宅時間と大人の仕事終わりのちょうど中間くらいの時間だ。駅構内の人はまばらで、各駅停車ということもあいまって二人はがらがらの車両の端の席に座った。
「目、あかいな」
「あんなん泣いたの、何年ぶりかわからんもん」
「そっか」
「うん」
手の甲がきらきらとひかる。アイシャドウがついたのだろう。
「俺さ」
「うん」
「今日志摩に会えて、よかったわ」
「……うちも」
「うん」
引きずってんの、うちだけだと思っとった、と志摩がぽつりと呟くと、燐はただごめんとだけ言った。
なにに対するごめんなのかな、とぼんやり考える。一度別れたこと。ここまで時間がかかったこと。燐の気持ちをわからないままにさせていたこと。なかなか近くにいられないこと。
やっぱり今でも燐は確かに戦場に身を置いているのだなと思うと、またすこし苦しくなった。身を引いてしまった自分には、もう側にいることができない。
「うち、祓魔師続ければよかったかなぁ」
「俺は、ちょっと安心した」
「そうなん」
「普通の生活でそこまで危ねえことなんてないし、志摩だったらそうなっても大丈夫じゃん」
だから前より怖くなかった、と燐はブレーキ音に紛れそうな音量で言った。
怖いと思ってくれていた、ということを燐の口からはじめて聞いた。単純だと思うけれど、燐が一瞬でも自分のことを心配していてくれたということ、たったそれだけのことで舞い上がりそうになる。
でも、「志摩は大丈夫でしょ」という言葉は苦々しいものでしかない。奥村くんから見てもそうなんかなあ、と少しもやもやしていると、燐がでも、とまた口を開いた。
「でも、ちょっと残念だったかな」
「なんで?」
「志摩のキリク、好きだったから」
その言葉に。ああ、やっぱりすきだなあ、と思った。
ただでさえ遠心力で重さを増していく錫杖を、男よりも小さな手で回せるようになるまでかなり時間がかかった。幼いころ、自分の性別に絶望したこともある。それは誰も知らないことではあるが。
男と同じくらい強くなることを期待された。その期待に応えようと思った。思っていたけど、だんだんいやになって、窮屈で。うちひとりを見てよと、きっと心のなかではずっと思っていたのかもしれない。そうしていたら男友達や彼氏が途切れることはほとんどなかった。けれど別れるときの言葉はいつだってきまってそう、「志摩は俺がいなくても大丈夫でしょ」。
結局のところ男はか弱くて自分が守ってあげなきゃと思うようなかわいい女の子が好きなんでしょ、阿呆らしい。ばかみたい、いい加減聞き飽きた、そう思っていたころ、初めて自分からひとをすきになった。
そのひとが、一番欲しい言葉をくれるということは、なんて幸せなことなんだろう。
「やっぱり奥村くんはずるいなあ」
「え?」
「すきやなあって、思っただけ」
ぎょうさん泣いたら疲れた、と言って目を閉じた。電車がちょうど緩いカーブに差し掛かったのをいいことに、燐の肩にもたれる。まだ少し湿っぽいシャツと、少しだけ近い太ももに伝わってくるあたたかさと、髪のにおい。もう、感じることはないと思っていた。
「なに笑ってんの」
寝るんじゃなかったの、とすぐ斜め上で声がしたから、志摩は目を開けて燐の顔を見つめる。
「これから寝るの」
「はやくしないとついちゃうぞ」
「ねえ、奥村くん、今日泊まっていってよ」
「は!?」
「二年も奥村くんおらんかったんやもん、志摩さん寂しかったんやもん」
「えっ、おま、えぇ!?」
「奥村くんは寂しくなかった? それともうち以外でどうにかしとったん? うわあ、ひどい! 傷ついた! うちは悲しい!」
「どうにかってなんだよ意味わかんねえ! つかなんも言ってねーよ!」
「寂しかったうちのこと慰めてや」
ね? とわざと少しかすれさせた声で言ってみると、燐が金魚みたいに口をぱくぱくさせる。穏やかでまるで大人になってしまったみたいな燐が、昔みたいに取り乱すのがおもしろくて懐かしくて、志摩はふふっと笑い声をこぼした。
「さっきまでのオンナノコらしさはどこいったんだよ!」
「これがうちらしさですぅ〜」
「ざっけんな!」
「おやすみ〜終点まで起こしてくれなくてもうちは全然おっけいやから」
遠くのほうがよかったら、と冗談めかして言うと、ちょ、志摩!? えっ!? と燐がおもしろいくらいに慌てる。このくらいの反撃は許されるだろうと、本来の調子を取り戻した志摩はもう一度左肩に頭をのせて、頬を緩ませたまま目をつぶった。
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