DOWNTOWN BOY
「そっかあ……」
目線を上げて、なんとか微笑む。笑顔をつくるのがうまくてよかった。いつもよりはぎこちないだろうけど、それでもまあ、ちゃんと笑えているはずだ。
「うまくいくとええねぇ」
燐の目を見ないまま、それじゃまたね、今度はもっとゆっくり会お、と早口で言って踵を返す。
「志摩待てよッ」
燐がそう言うやいなや、右腕を強く引かれた。思わず肩越しに振り返ってしまって、けれど今見られたくなくてすぐさま顔を背けた。
「志摩」
「……離して」
「やだ」
「離して!」
「聞けよ!」
「ええから離してよ!」
「志摩、俺はっ」
「そういうんはうちじゃなくて! すきな子ぉにやってあげればええやんか!」
「何言ってんだよ、俺がすきなのは、」
「やだ聞きたくない!」
そんな押し問答を繰り返しながら、燐はずっと志摩の手首を掴んで離さない。志摩の、女の手首を簡単に掴んでしまう手。すこし汗ばんだ手のひらに触れられているところで血が脈打っているのをものすごく感じて、まるでそこが心臓になってしまったようだった。
次第に志摩の声が悲鳴じみていく。ぽろぽろこぼれ始めた涙を悟られないように、左手の甲で押し止める。
「志摩!」
「やだ! やめてよ離して!」
「いい加減にしろよ聞けよ!」
「やだ! もううちのことなんてほっといてよ!」
「んなことできねーよ!」
「なんでよ!」
「しょうがねえじゃんすきなんだよ!」
「しょうがないってなーーは?」
勢いで続いていた悲鳴と怒声の応酬がぴたりと止まる。涙もぱたりと引っ込んで、まじまじと燐の顔を見つめながらでてきた声はなんとも色気のないものだった。くそミスった、と吐き捨てた燐の横顔は、照れたような気まずそうな、そんな複雑な表情だった。
「ミスったってなにそれ!? 口から出任せなん!? 適当なこと言わんでよふざけんな!」
「は!? なんでそうなんだよ! ちげーよなんかもっといろいろ俺なりに考えてたんだよ、あーっもうめんどくせえ!」
空いている左手でがしがしと頭をかくと、燐は志摩を掴んでいた右手を離して、志摩がほっとしたのも束の間こんどは両手で肩を掴んだ。
「俺は! おまえが! 志摩がすきなの! 三年経ってもまだすきなんだよ!」
「……三年はまだ経ってない」
「んじゃ二年とちょっと!」
おまえほんっとにめんどくせーなと燐がぼやくのでうるさい! と志摩が吠える。
「あんときは俺も死ぬかもって本気で思ったからああ言ったけど!」
「指示語じゃわかんない!」
「付き合うのやめようって言ったけど! でもやっぱり気になるしおまえ全然顔合わせてくれねーし時々戻ってきても絶対会ってくれねーしすげえそれがムカつくし、今でも俺は十分志摩に振り回されてんの!」
「なにそれ……」
唇をかんで俯く。強く掴まれた肩が少し痛い。
「だからすきなんだってば」
「じゃあなんで彼氏いるとか聞いたん」
「いたらもう諦めようと思ったんだよ」
「ほらやっぱり諦めようと思ってたんやんか!」
「だーかーら彼氏がいたらッつってんだろ! あげあしとんな!」
「奥村くんかてすきなひといるて言うたやん! うちちゃんと聞いたやんあのときちゃんと言ってよ!」
「言おうとしたら志摩逃げようとしたじゃねーか!」
「うちのせい!? うちのせいなん!?」
「あーもう! だから! いろいろ考えてたんだよ! シミレーション? してたんだよ!」
「なんのシュミレーションよ!」
だからすきなんだってば。
はっきりと、なんの迷いもなくそう言い切られて、また鼻の奥が痛くなった。なんとかやりすごそうと思うのに、引っ込んでいた涙が再びこぼれ出す。いま、今を逃したら絶対にだめだ。今素直にならなかったら、今ちゃんと覚悟きめなかったら、絶対後悔する。あんな後悔、もう二度とごめんだ。心のなかはこれ以上ないくらいシリアスモードなのに、ずび、となんとも間の抜けた音がして、涙に気づいた燐がいきなり慌て出した。
「うおっ、えっ、なんで泣いてんの」
「……ほんまに?」
「えっ」
「ほんまにすきなん?」
「ほんとだよ」
「うちのこと?」
「他に誰がいんだよ」
「うちめんどくさいよ」
「知ってるよ」
「わがままだし構ってちゃんだし」
「わかってる」
前からそうだったじゃん。だからいまさらなんもねーよ。
Tシャツの裾やアスファルトに吸いこまれていく涙をぼんやりと見つめる。揺らいだ視界で燐を見上げると、燐は真剣な目をしつつもおかしそうに笑っていた。
「……なに笑ってんの」
「や、変わってねーなって思って、安心した」
「変わってないって、うちのこと全然知らんくせに……。うちかていろいろあったんやもん、飲み会で言い寄られたりしたことあるもん」
「でもそいつとは付き合わなかったんじゃん」
「一瞬忘れられるかもって思ったもん」
「でも結局すきなやつっておれなんだろ」
「ちょ……、なにそれなにその自信、」
「志摩の顔見ればわかるよ」
「ドンカンのくせに!」
「言ってろ」
「わからへんよ、奥村くんみたくどっか行ってしまいそうなひとよりその辺のどこにでもいる男に揺らぐかもわからんやんか」
「ちょっと黙れよ」
そう言うと、力任せに抱きしめられた。懐かしいような、はじめて知るような彼の体温。肩に顔を埋めようとして、ハッとしてその身体を遠ざける。
「志摩?」
さっきまで自信満々だったくせに、燐の声が正反対に情けなく揺れていたから、志摩はそうじゃなくて、とへらりと笑った。
「涙とメイク、シャツについてまうから」
今度はすっぴんのときにな? とふざけた口調で言うと燐がくしゃりと顔を歪めて、次の瞬間にはまた抱きしめられていた。
「ちょ、奥村くん!」
「黙れって言っただろ」
こんなときまで強がってんじゃねーよ、と耳元で燐が言う。その一言がたぶん志摩の心の急所で、彼の背中に手をまわしてありったけの力でくっつきながらさっきまでとは比べ物にならないくらい溢れた涙を、今度は遠慮なく彼の肩に押し付けたのだった。
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