まほうのくすり - 3/5

DESTINY

 ゆるゆると振り返ると、やっぱり志摩だ、と燐がぎこちなく笑った。
「久しぶりやね、奥村くん」
「うん、久しぶり」
 最後に会ったのいつだっけ、と呟いてからすこし下がった燐の視線が志摩の手元のアイスに止まった。
「さっき、そこで買うてん」
 ああ、と燐が頷く。今日わりと暑いもんな。
「……食べる?」
 そう口に出してしまった自分を、志摩は張り倒してやりたいと思った。彼の答えなんてわかりきってるくせに、簡単に想像できるのに、とんだ自殺行為だった。
「や、だいじょーぶ」
「そっか」
 ほら、やっぱり。志摩の心の中の黒くてどろりとしたものが渦巻く。アイスの表面がずいぶんと緩んできていたので、これ幸いと志摩は指の辺りまできた雫を舐めあげた。燐を見なくてもすむように。
「今でもこのへんよくくんの」
「や、今日はたまたま。なんか懐かしくなって。……奥村くんは?」
「俺はさっき戻ってきて、そんで帰り道だったから……」
 ああ、と合点がいく。道理でワイシャツを着ているわけだ。分厚くて重苦しい團服はどうせ彼のことだ、夏場はたいして着ていないのだろう。捲られた袖からのびる腕を見て苦しくなった。今でもこんなにすきだなんて、だから会いたくなかったのに。
「おかえり、おつかれさま」
「ありがと」
 暮れ始めた道で、微妙に遠い距離を開けてぽつりぽつりと言葉を交わす。今の志摩と燐の関係そのものだった。
 ライトをつけた車が、二人の横を通りすぎる。エンジン音が一番大きくなったとき、燐がかすかに口を開いた。
「え? ごめん、聞こえんかった」
「なんか、このあとあんの」
「なんかって?」
「用事とか、」
 おまえいつも忙しいみたいじゃん、と燐が呟く。任務で各地を飛び回る燐から逃げ回るようにして、その理由を学校とバイトと本当は行ってもいないサークルに押し付けていた。
「……今日は、なんもない」
 どうせ家に帰ったところで真っ暗な部屋とぬるくて湿った空気と賞味期限の迫った冷蔵庫の中身しか自分を待っていないのだ。図々しく膨れ上がる期待を、必死におさえこむ。どうせあとで苦しくなって、後悔するだけだ。それだけだってわかってるのに。
「ちょっと歩かねえ?」
 そう言われると、鼻の奥が痛くなるくらい嬉しくなってしまうのはなぜなのだろう。 こくんと頷くと、燐はふうっと息を吐き出してからよかったと言って笑った。
 燐がすこし大きめの歩幅で志摩のもとへと近づく。隣に並ぶと志摩も歩き出した。最初はばらばらだったふたりの靴音がだんだんと揃っていく。メトロノームみたい、と志摩は思った。
「元気やった?」
「うん、まあ」
「怪我してへん?」
「大丈夫。ちゃんと気を付けるようにしてる」
「うん、そうしてな、心配やから」
「心配してくれてんだ」
「……当たり前やんか」
 当たり前のことなのに、嬉しそうな顔をするのはやめてほしい。いや、燐もすこしは気まずいのかあまり顔に出さないようにはしているようなのだが。
(バレバレやん)
 きっと燐は、しえみに言われても、出雲に言われても、同じように嬉しそうにするのだろう。自分だけが特別だと錯覚しそうになる。冷静に考えてそんなわけはないのに。今はもう、志摩は燐の特別ではない。
(うちだけがずっと引きずってるんやろな)
 そう考えると悔しかった。奥村くんに会うときはとびきり綺麗な格好をしてフッたことを後悔させてやろうと思っていたのに、こんなところで会うなんてとんだ不意打ちだ。どうして今日にかぎってこのサンダルを履いてきてしまったのだろう。
「……志摩は?」
「え?」
「大学とか、どんなん?」
「授業がながくて疲れるわ。あと、人間関係が薄っぺらくて疲れる」
「疲れてばっかじゃんか」
「まあ、そんなやわ。深入りしないしされないから、そういうんは楽やけど」
「そうなのか? 大学生ってみんな彼氏いるんじゃねえの?」
「なぁにそれ、そんなことないよ」
 思わずくすくすと笑いながら燐の顔を覗き込むと、燐は思いの外真剣な目をしていた。
(え?)
「志摩は、いま彼氏いんの」
「……彼氏はいないけど」
 じゃあ、すきなやつはいんの。
 志摩の足が止まった。一歩前にいる燐が振り向いて、なんて顔してんの、と困ったように笑って言った。
「……奥村くんはひどい」
「え、」
「いるよ。すきなひといるよ、そのひとのことばっか考えてて名前聞くだけでどきどきして、落ち着いてなんかいられなくて、会いたくなくて、なのにものすごく会いたくなるひと」
 奥村くんのことやで。そう言えたらどんなによかっただろう。けれどもう自分には、それを言うことはできない。絶望的な気持ちになりながらも、普段からよく動く舌は今日だって止まってはくれない。もう一度フラれたら、次こそ致命傷になる。わかっているのに。
「……奥村くんは、いるの」
 そう聞いてしまう自分はマゾだなと、頭のなかのもうひとりの自分がやけに冷静に呟いた。
「えっと、……うん、まあ」
 燐の声がすごく近くで聞こえた気がした。彼の靴の爪先を睨んで、油断したら落ちそうな涙をむりやり引っ込める。フラれたらだなんて、それを自分だって受け入れたくせに。結局うちはなんもかんも人のせいにして、ずるいのはうちやんか。一瞬でも期待したうちがばかやった。すきなだけじゃだめってほんまやんなあ。ああほんとうに、なんて報われない。

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