まほうのくすり - 2/5

カンナ8号線

 一緒に行ったところなんて数えるほどしかない。だから、足は自然と学校の周辺に向かった。
 つり革を持つ左手にもたれ、右から左へ流れていく景色をぼんやりと眺めながら電車を乗り継いでいくと、次第に見慣れた景色が多くなってくる。最寄り駅で降りると、懐かしい制服がちらほらと目に入った。
 ぶらぶらと足を投げ出すように歩くので、サンダルの底がリズミカルな音を刻んでいる。
 学校へと近づいていくうちに何度か下校中の生徒の集団とぶつかる。たいした脈絡もない会話の端々から聞き覚えのある教師のあだ名と耳慣れない人物の名前が半々くらいの割合で志摩の耳に飛び込んできて、懐かしくもあり、もう自分は高校生ではないのだなと思って少しだけ寂しくなった。
(あ、ここ)
 コンビニの前で志摩の足が止まる。かなり日が短くなった冬場に、ときどき買い食いをしたコンビニ。同じ午後六時でも夏と冬では明るさが全然違って、そのせいだと志摩は信じているけれど、冬の帰り道の方が二人きりになると緊張した。胸元があいたセーラー服は寒くて、志摩はぐるぐる巻きにしたマフラーのなかに鼻を埋めるようにして歩いていた。
「ねえ、奥村くん、うちあんまん食べたい」
「なに、腹減ったの」
「そういうわけやないけど、なんか食べたいの」
 ね、食べよ、と志摩が燐を覗き込むと、燐はすこし目をそらした。燐の白い頬は寒さでもとから赤かったものの、その赤みが少し増したのを志摩が見逃すはずもなく、嬉しそうに目を細めるのだった。
「奥村くんと帰りに寄り道するの好きなんやもん」
「……おまえほんとよくそういうこと普通に言えるよな……」
「だってほんまやもん。奥村くんはいや? 早く帰りたい?」
 だからそういうことなんで言うんだよ、といよいよ本格的にそっぽを向いた燐に、このままほっぺたつかんでキスしてやりたいと思った。本当にはやらなかったのはひとえにマフラーのせいであり、おかげでもある。
そんなことを考えながらのろのろと歩いていると、燐がかすかに呻いた。
「てか金ない……」
「ああ……それはしゃあないわ……」
 二千円て無理やんなあ、と言うと彼は眉をしかめた。燐だけではなく、志摩とてそんなに自由に無駄遣いできるお金を持っているわけではない。けどまあ、最近は買い食いもしてへんかったし、と自分と財布に言い訳をしてから、志摩はちょっと待っとってと言い置いてコンビニのドアをくぐった。
「うまい?」
「うん、けど熱いわ」
 ふうふうとこぼれそうな餡に息を吹きかける志摩を燐がじっと見つめている。
「どうぞ?」
 ひたりと見つめ返しながらそっと手のなかのあんまんを差し出すと、すこし背筋を曲げた燐が遠慮がちにひとくちかじった。急に縮まった距離に、心臓の音が加速した。
(まあ、この時期にはやっぱり売ってへんよねえ)
 わかりきっていたことではあるが、幾分の落胆とともに志摩はラクトアイスの袋を開ける。季節は春と夏の間である。しかも、今日はどちらかというと夏寄りだった。湿度を含んだ風が志摩の長い髪を乱していく。
 明確な理由も意思もなく、なんとなく五限の授業をさぼってここまできてしまったけれど、あのころの志摩が履いていたのはローファーで、今志摩が履いているのは安物のサンダルだった。
 あの日食べたあんまんが今は売っていないように、履いている靴が変わってしまったように、あの頃の自分はもうどこにもいないのだなと思うと口のなかのアイスの欠片がじゅわりと溶けていく。
中学生の頃は、高校生がものすごく大人に思えた。高校生の頃は、大学生がものすごく遠いものに思えた。そして大学生になった今、たいして成長も変化もしていない自分がいる。
「志摩?」
 ――それなのに。
「あれ、志摩? 志摩だよな?」
 あの頃の二人はもうどこにもいないのに、なんで、奥村くんはあの頃と同じ声でうちのこと呼ぶんやろう。
(……サイアク)

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