その質問を切り出したのは、ロング缶が残り三本になったときだった。お互いお気に入りを既に一本空けて、次を取りに行った青峰くんがそれじゃあ二本目は俺がグレープフルーツ、テツがライムなと差し出したときだった。
「青峰くん」
「ん?」
「僕って青峰くんのこと好きだったんですか?」
アルミ缶を受け取りながらなんでもないことのように問いかけると、青峰くんはピシッと音をたてて固まった。
「え……え? は?!」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねえよ!つか知るか!」
「冷たいこと言わないでください」
「いや、それ以前にどういう意味か全然わかんねえわかるように説明してくれ頼むから」
「どういう意味って、そのまんまの意味ですけど……」
そう答えてまだ立っている青峰くんを見上げていると、隣に座ったと思ったらそのままずるずると落ちて、フローリングの床にぺったりと座り込んで頭を抱えた。
「どこから突っ込めばいいのか……」
おまえ、たまにいろいろすっ飛ばしてしゃべるよな。そう言ってソファーに寄りかかり、首をこてんと上に向けて僕を見た。
「で、どうなんでしょう?」
「いやそもそも俺に訊くなよ」
深々とため息をつく青峰くん。僕も床におりて、青峰くんの隣で体育座りした。
「まず質問の前提がおかしいだろ」
「そうですか?」
「テツ、俺のこと嫌いか?」
「まさか。嫌いだったのなんて中三の後半だけですよ」
「さりげなく黒歴史を掘り返すのやめろ!」
冗談ですよといなしてからライム味の発泡酒を喉に流し込む。ふう、と息をついた。そんなの、好きに決まってるじゃないか。でも、嫌いじゃないからといってそういうことになるんだろうか。
「やっぱり好きだったのかなあ……」
呟きながら、抱えた膝にあごをのせる。青峰くんががしがしと頭をかいた。
「つーか、いきなりどうしたんだよ」
「いえ、桃井さんに言われたので」
「さつき?」
「はい」
こっくりと頷くと青峰くんはあーとかうーとかなにかしら唸ったあと、そういうことかと悔しそうに呟いた。
「そういうことって?」
「あー、テツ、さつきになんて言われた?」
「おととい電話もらったときに、ずっとテツくんは大ちゃんが好きなんだと思ってたって」
「あいつ……!」
「僕も最初どういう意味かよくわからなくて、それでもちろん好きですよって言ったら、くすくす笑いながらそうじゃないよって言われて……どういうことですかって訊いても教えてくれなかったので青峰くんに訊いた次第です」
そう言うと青峰くんはぐびぐびとチューハイをあおって、それからまた、盛大にため息をついた。
「昨日さ」
「はい」
「さつきが昔の日記読み返してたらしくて。そんときに、なんかこづいてきてよ…どうしたんだって訊いても答えなかったからわけわかんなったけど」
ああ、と頷く。青峰くんはどこか気まずそうだ。それはそうだろう、自分が好かれていたかもしれない話なのだから。
「モテ期ってやつだったんですかね」
「いやおかしいだろ……」
「高校は知りませんけど、中学の頃は女の子にも人気でしたよ?」
「そういうことじゃなくて」
じゃあどういうことなんですかと訊いてみても、しばらく青峰くんは答えなかった。間を繋ぐようにふたりで交互に缶に口をつける。
そのうち、片膝を立ててこちらを見て、青峰くんがぽつりと言った。
「テツって俺のこと好きだったんだよ、きっと」
真剣な眼差し。射抜かれそうなほどまっすぐなそれは、諦めたら何も残らないと、それからの僕を支え続ける言葉を言ったときと同じ視線だった。
「そうじゃねーの?」
「青峰くん……」
「……」
「……君がここまで自信過剰だったとは」
「言っとくけどこの話始めたのおまえだからな?!」
それもそうですねと、小さく笑ってから床に目線を落とした。青峰くんはまただらりとソファーに寄りかかる。冗談はさておき、好きとかそういう言葉で表すようなものなんだろうか。恋愛感情として好きだったというのとはなにかが違う気がする。それは確かだ。でも、それはきっとある種の。
「まあでも、そういうものなんでしょうか。青峰くんの笑顔が見たくて、それでまた高校でもバスケをしようと思ったんだから」
「え……そうなの」
「そうですよ」
少し驚いた顔の青峰くん。あの冬からいろいろなことを話したけれど、そういえば話したことはなかったな、と思った。
「中学のうちはもうやらないかもって思ってたんですけど。やっぱり、バスケが好きで、楽しかったあのころが忘れられなくて、あのころのきみのバスケが好きで。もう一度、きみが笑ってプレイするところが見たかった。僕が大好きだった、きみのバスケが見たかったんです」
それでまたやろうって思えたんですよ。そう言って青峰くんを見ると、青峰くんはぱっと顔を背けてしまった。
「青峰くん?」
「こっち見んな」
「もしかして泣き上戸ですか?」
ねえ。ローテーブルに手の中のアルミ缶を置いて、少し間をつめる。
「ねえ、泣いてるんですか? そうでしょう?」
「うっせえ!」
「ふふ、きみって実はすごく素直ですよね」
Tシャツの袖を引っ張りながらからかうような言葉を重ねる。拗ねた青峰くんは、くるりと振り返って僕の頭をわしゃわしゃとかき混ぜた。
「ちょ、なにするんですか」
「今日はやたら絡んでくるなこの酔っぱらい」
そのうち取っ組み合うみたいになって、悪のりした青峰くんが脇腹とか膝とかをくすぐってくる。なにがおかしいのかよくわからないけどとにかく笑いが止まらなくて、けらけら笑っていたら呆れられた。
「テツー」
「なんですか?」
「おまえ今日相当酒回ってるだろー…完全に笑い上戸じゃねえか」
先に身体を起こした青峰くんが僕を見下ろしながら言った。両腕を伸ばしてあおみねくんと名前を呼んだら、ため息をつきながらも腕を引いて起こしてくれる。
「まあ」
「ん?」
笑いすぎて出てきた涙を指で拭いながら言うと、青峰くんが不思議そうに僕を見る。
「自分のチームが勝つことより誰かさんがわらうところが見たいなんて、そんなこと、恋愛ごときじゃとてもできないですよ」
「そりゃそーだ」
ほらやっぱり俺のこと好きじゃねえかと言うのでとりあえず脇腹に手刀を炸裂させておいた。青峰くんの隣で小さなキューブチーズの包み紙をむいていると、青峰くんは痛さを通り越したのか笑い始める。ひとのこと言えない、自分だって酔っぱらいじゃないか。ほどなくすると笑いの発作が治まったらしく、まなじりに滲んだ涙を拭った。
「まあおたがいさまじゃね、俺もテツのこと好きだったんだから」
「……え?」
突然の爆弾発言。意味がわからなかった。ぽかんと口を開けたまま青峰くんの横顔を凝視する。うそ。だったら、だったら、なんで。
「……うそ」
「まじ」
「……」
「テツ?」
完全にフリーズした僕を、覗きこむ青峰くん。濃い色の虹彩に間抜けな自分が映る。
「酔いが醒めました」
「そりゃよかった」
「きみってぼくのこと好きだったんですか?」
「ん、まあ、そうなんじゃね」
それじゃあ。だったら、なんで。
「好きだったのに捨てたんですか?」
「そういうことを言うな!!」
おまえはいつまでそれをひきずるつもりなのと決まりわるそうに言うから、ずっとですよ? とすまして答えてやる。げ、と顔をしかめた。それでいい気分になって、同窓会のたびにネタにしてやりますと言うと青峰くんはなかなかに沈痛な表情をした。どうだ、自業自得だからなにも言えまい。
それにしても、さっきの言い方。どことなく歯切れが悪かった。ピーンと何かがひらめく。とすると、これはもしや。
「桃井さんに」
ぴくり、背中が動く。
「なにか言われたんですね?」
ぎくり、肩が跳ねる。やっぱり。
「なんですか、僕が言われたみたいに、大ちゃんも本当はテツくんのこと好きだったんじゃないのとか言われたんですか?」
「なんでわかんの……」
「きみたちの背中を押したのは誰だと」
えへんと胸を張る。厳密に言えば背中を押したのは僕だけじゃないしむしろみんなで突き飛ばしたといったほうが正しい気もするけれど、まあそれは置いておいていいと思う。
「まあ良かったです」
「なんで?」
「もしきみが自分から僕が好きだったって気づいたとして、それでいろいろ、あんなひどいこと言えるんだとしたら僕はきみの人格疑うところでした。今さらですが桃井さんに考え直してくださいって電話したいくらいでしたよ」
「なにそんなに?!」
「青峰くんはもう少し人の気持ちを考えたほうがいいと思っていましたが鈍感なくらいでちょうどいいのかもしれませんね」
「俺馬鹿にされてるよな?そうだよな?」
「今の青峰くんが一番いいってことですよ」
「テツのそういうところ嫌い……」
うなだれる青峰くんに、ほらこれで機嫌直してください、とクラッカー二枚でチーズを押しつぶしたサンドを差し出した。青峰くんは無言で受け取って、そのままばりっと噛んで砕いた。
「思うんですけど」
青峰くんにあげてしまったから、自分用にもう一度チーズの包み紙をむく。
「さっきも言ったけど、ある意味、僕の青峰くんに対する思い入れって恋愛どころの騒ぎじゃない気がします」
「うん?」
わかってないでしょうと言うと素直な青峰くんは曖昧に頷いた。
「学生の惚れた腫れただったら、一度嫌いになったらそこで終わってしまうものですよ。こんなに付き合い長続きしませんって」
「そういうもんかあ」
「そうですよ。もちろんきみにだけじゃなくて、黄瀬くんもそうだし、緑間くんも紫原くんもそうだし、赤司くんもだし、それに桃井さんのことだって。みんなのことが本当に大好きで」
それこそ家族みたいに。
青峰くんはただ、僕の隣で僕の言葉を聞いていた。ごくりと酒を飲み下して、それからふう、と一息をゆっくり時間をかけて吐き出す。
「今日のテツ、よくしゃべるな」
「話すなら今日かなって。それに、きみには知っておいてほしかったから」
「なるほど」
そうして青峰くんはもう一度小さく呟いた。なるほど。思えばそう、今日を過ぎたらもうこんな時間を取ることはできないのだ。もう彼はひとりではなくなるのだから、僕がこうしてくることもなくなっていくのだろう。一瞬感じた寂しさの正体を見た気がした。これが最後。そういうもの。だからといって僕と青峰くんが変わるわけではないし、もちろんこれからもこんな風な付き合いは続いていくのだろうけど。それでも、変わらざるを得ない。僕がこの部屋で夜を過ごすことはきっともうない。もうないんだ。
「なんだか感傷的な気分になりますね」
「そうか?」
「そうですよ」
幸せを祈っている。心の底から喜んでいる。その気持ちに嘘はない。けれどどこか寂しい。なんだかんだ言ったって自分は他人で、そのラインを越えることはできないし越えようとも思わないし。言うなれば、大人になってから訪れた小学校の机の小ささを目にするときみたいな。
「僕はやっぱりただの友達なんだなあって」
「相棒だろ」
「ありがとうございます。でも家族ではないでしょう?」
そうしてふっと息をこぼすみたいに笑う。少し拗ねたかのような青峰くんが、不満げに家族みたいって言ったくせにとぼやいた。
「本当に家族だったら結婚できないじゃないですか」
「……じゃあさつきは従姉な」
「楽しそうですね」
「六人兄弟。やべえな」
「誕生日順だったら黄瀬くん、緑間くん、青峰くん、紫原くん、赤司くんで、最後が僕ですか」
「黄瀬長男とか絶対ゴメンだわ」
「ひどいですね。まあどちらかといえば彼は犬だし」
「テツも大概ひどいからな、それ」
それからさんざん兄弟順の話で盛り上がり、最終的にとりあえず一番上は緑間くんということで落ち着いた。それかお母さん。それ以外の人員の配置も話し合ったけど、終わりが見えなかった。
「赤司くんってお父さんって感じしますね」
ぽつりと言うとあからさまに嫌そうな顔。本当にきみ、考えてることが顔に出ますよねと笑うと複雑そうに口を曲げる。
「この間電話したとき、娘と息子が一度に巣立つのってこんな気持ちなのかなってあの人泣いてましたよ」
「まじかよ……」
「明日も泣いちゃうんじゃないですか」
「大人になって情緒不安定に磨きがかかったよな、赤司」
「そこはせめて涙もろくなったって言ってあげましょうよ」
「友達の結婚式で泣くとか…」
「しょうがないですよ、赤司くんですから」
「そうだな、赤司だもんな。しょうがねえか」
なんとなく会話が途切れた。テーブルから落ちた空き缶がカラカラと音をたてて転がる。青峰くんはぐいっと手の中の缶を傾けて、二本目を空にしたようだった。
「テツはさ」
「はい」
「寂しくねーの?」
目を伏せる。答えなんてわかりきっているだろうに。まっすぐ見返しながら言う。寂しいですよ、もちろん。
「でもそれより、やっとここまで来たんだなって感慨のほうが大きいです」
「……そっか」
幸せを祈っている。心の底から喜んでいる。本当に、自分が大切に思っているふたりが結婚するんだなあ、と。それに比べれば寂しさなんて吹けば飛んでいくようなものだ。おめでとうございます、と言ったときの桃井さんの笑顔を思い出す。それと同時に。
「深刻なことを思い出しました」
意識して真剣な声を出すと青峰くんが居住まいを正す。そう、これは僕にとってはとても重大な問題なのだ。
「ふたりが結婚したら」
「なんだよ……」
「僕は桃井さんのことをなんて呼べばいいんでしょうか」
そう僕が言い切るやいなや青峰くんはぷっと噴き出した。真面目な話だって言ったのに!
「笑い事じゃないんですよ!」
「え、別に今のままじゃ駄目なの?」
「他のみんなは名前だったりあだ名だからいいけど僕はずっと名字呼びだったから迷うじゃないですか」
「緑間も桃井って言ってるだろ」
「……緑間くんのことは置いておきましょう。旧姓になるのにそのままでもいいんでしょうか」
そう言うとうーんと唸りながら首をひねっていた青峰くんが、あっと声をあげた。
「昔母さんが高校のときの友達に旧姓で呼ばれてるの聞いたことある」
「ほんとですか」
「同窓会とかじゃ母さん、父さんのこと青峰くんって呼んでるみたいだし」
「それは新鮮ですね……」
「だからいいんじゃねえの、そのままで」
そうでしょうかと確認すると別に名前以外何も変わんねえだろ、と言う。そういうものかもしれない。何も変わらないと、そう言ってもらえてひどく安心している自分がいた。
「じゃあそのままでいいんですね」
「そうだと思うけど」
「青峰くん」
「うん?」
「ちゃんとしあわせになってくださいね」
「……おう」
青峰くんが頷いた。この笑顔が自分は本当に、純粋に、とても好きだったんだと思った。区切れた会話、最後の一本を取りに立ち上がった青峰くんの背中が、台所の向こうへと消えた。
※コメントは最大1000文字、10回まで送信できます