光・鏡・薪 - 2/3

 目を閉じる。かえってそのほうが空がよく見える気がする。風の吹きすさぶ音、夜のにおい。何度も繰り返し諳じた彼の文章。からだの芯は今も変わらず凍えきって震えているが、彼の文章が、言葉が、それらを押し留めてくれる。隣の彼に、目の前の彼らに、この震えが伝わりさえしなければいい。この後悔は、あなたと私だけが知っていればよいのです。
 縄と足元の板が軋む。地面が抜ける。その音を確かに認識、したはずなのに、目を開けると私はなぜか彼の掘った穴の中にいる。暗い、しかし歩きやすいように丁寧に均された地下通路。訳がわからないままとにかく進む。もし転んでも方向がわからなくならないようにと、彼が左の壁にだけ掘った溝をなぞりながら。
 どうして。何が起きている。私たちはもう今まさに吊るされようとしていた。時間が巻き戻ったのか? あるいは昏倒でもした一瞬の間に、何らかの幻を見たのか。そんな馬鹿げたことがあるはずが。けれど、ああ、もし、もしもそうだとしたら。神様。
 進む先に光が見える。突然表れた強い光に目が眩んで、それでもなんとか壁に手をつきながら駆けていく。思うように動かないからだが恨めしい。早く行かなければ。行って、手紙を書いて、彼のもとへ──本当に?
 なんとか穴から這い出す。穴の出口は教会の裏側にある畑の奥、ちょうど教会と木々の陰になって人からは見えにくい場所であったはずなのに、なぜか私は教会の中にいる。見慣れた礼拝の場。何度となく自身と向き合い、そして祈りを捧げてきた場所。
 視線を落とすと、自分のからだは確かにここにある。しかし手も服も靴も全く汚れていない。指先は、あの夜一人で暗い穴を進んで土に、必死に手紙を書いてインクに、そして独房でひび割れて血に染まっていたはずなのに。辺りを見回し、その勢いで振り返ると、教会の窓から強い光が差し込んでいる。昼なのか夜なのかわからない。よく晴れた日でも、ここまでの光ではなかったはず。先ほど見た光はこれだろうか。
 ここまでくると、思考ではなく感覚で理解してしまう。私はもう死ぬ。あるいはもう死んだのかもしれない。これはその間際の一時に見るものなのだろう。死の間際に大いなる光を見る者がいるという話をかつて聞いたことがある。光は人の姿を取り、言葉をかけることもあるのだと。曰く、自分の全てを知り、受け入れ、赦すかのごとく。肉親、愛する者、あるいは神の姿によって。私にはどれも訪れることはない。
 こんなもの、自分に都合のいい夢だ。唾棄すべき幻影だ。私よりも彼らをと思っている振りをしているくせに、この期に及んで尚も救われたがる自身の浅ましさそのもの。
 むざむざ彼だけを死地へと送り込み、その背中を見送ることもせず、逃げ切ることも早々に自白することもできず、ただいたずらに傷だけを増やした。それなのに言うに事欠いて、彼のもとへ、などと。もし手紙を書いて戻ったとして、こんな私に何ができたというのだろう。戦力になどなるわけもなく、私に良いように使われただけの下級市民という彼の建前も崩れ、後には何も残らない。手紙を書くよりも、とにかくふたり散り散りに逃げたほうが良かったのでは。そうすれば彼はきっと逃げ切れただろう。それにもし私だけが捕えられ、仮にヨレンタさんに手が及んだとて、あの様子の父親が娘をどうこうさせるはずがない。今となっては、我々を苛んだ彼が彼女の家族であることが、彼女を守る何よりもの盾になるだろうと思える。
 もし、生きてさえいれば。それならばきっと彼と私の前には異なる道があった。あの手紙が、私が勝手に残したあれらが誰にも届かないとしても、彼が自らほかの誰かに彼の感動を打ち明ける日もあったかもしれない。きっと本当はそうすべきだった。けれど、ならば、拙いながらに彼が書いた、彼自身のようなあの言葉たちは……。
 神様、死してなお後悔ばかりの私はさぞ滑稽なことでしょう。そもそもあの日、もし出掛ける前に手紙を書いておけばいいだけのことでした。そしてそれを怠ったからこうなってしまった。それならばと自分で全てを引き受けて彼だけでも遠くへ逃がすべきだったのに、たったひとつの正しい選択さえ下すことができない。自身を過信していたのかもしれません。論理の隙さえ見せなければ、彼らをきっと守り抜くことができるはずだと。誰よりも私自身が私の感情によって身を滅ぼすというのに。彼を道連れにして。
 散らかった思考のまま手を合わせたとて、祈りには程遠い。独房の七日間もいまも。自分が本当は誰に何の赦しを乞いたいのかもわからない。祈るなら祈るで、もっと突き詰めてその輪郭を明らかにする必要があるというのに。私たちは死んで、からだは火にかけられ、その後どうなるかは誰も知らない。床が抜けて地をうしなった瞬間の、死にたくないという強烈な恐怖と後悔。私のせいで死ぬ彼も、同じように感じたに違いない。そのことが、私は、何よりも。
 顔を上げる。光は相変わらず教会の中に降り注いでいる。冷たい指をほどき立ち上がる。振り返ると、なぜか入り口の脇に大きな鏡が置かれている。からだがすっぽりと映るようなこんな大きな鏡があるはずがないとわかっているのに、なぜか違和感はさほどない。生と死のあわいに見る夢ならば、どんなものでもあり得るのかもしれない。
 ゆっくりと歩を進め、鏡へと近付いていく。風のない水面のように自分の姿が映っては、光の加減で見えなくなる。そしてまた映る。指先で鏡に触れる。自分の姿。瞬きのたびに映る姿が入れ替わっていく。幼少の頃。私塾に入った頃。親友。顔の傷から血を流す私。修道院長。うまく目に包帯を巻けない私。悪態をつきながらも丁寧に手当てをしてくれた修道士。クラボフスキさん。眼帯をつけた私。オクジーくん。ヨレンタさん。ピャスト伯。ノヴァク氏。地動説の完成を無邪気に祝ったあの夜のふたり。自己というものは他者がいなければその存在を知覚できない。人は他者によってかたちづくられる。
 一人で特別になると息巻いて、そのくせ、他者を切り捨てることも守ることもできない。鏡の中では、オクジーくんの背中が遠ざかっていく。他者という鏡を通して私は私を見つめ直す。そしてまた、何事もなかったかのように私ひとりが映っている。
 固く閉ざした扉の奥にまだ残っていたものを、私も知らなかった私を、知らないままでいられたなら。きみは私という鏡などさっさと通りすぎて、今もどこか遠い異国で文字を書いていただろうか。
 拭っても拭いきれない後悔。私の問いにきみは「まさか」などと答えたが、本当はどう思っていた? どんなに答えを求めても、もう返ってくることはない。もっと話をしておけばよかった。生きているきみと。
 触れた指先から鏡に体温が移り、ぬるく温かい。鏡に映る像はきっともう変わらないだろうなと、理由もなくそんな気がする。代わりに、目を閉じて彼の微笑を思い返す。絞首台で空を見上げたときの、額から指先を離したときの、そしてあの朝「同じ空を見られてよかった」と笑ったときの、あの笑顔を。ああ、そうだ。どんなに悔いたとて時間は戻らない。人生はやり直しがきかない。代わりに、手にしたものもうしなわれない。無数の選択の結果の果て、きっとここにいる私にだけ、あの星空があった。私がきみという鏡に触れて変わったから。きみが無数の鏡に触れて変わっていったように。
 答えの出ない問いを繰り返すことに意味はない。後悔ばかりを並べることに意味はない。もし何度やり直せたとしても、私の後悔、そのすべてがなくなることは決してないのだから。そしてきっと、私のなかに最後にひとつ残った星もまた、なくなることはないのだろう。目を開ける。鏡の中の私は、見たことのない表情をしていた。私はこんな顔もできたのか。
 きみが本当は何を思っていたのか、今となってはもう知ることはできない。けれど、きみは地獄ではなく天界の入り口だと言い切った。きみの言葉を通して、私は何度も綺麗な空を見た。私はきみの言葉を信じると言った。きみはその言葉を聞いて微笑んだ。それが私たちの間にあったすべてだ。それだけで十分だ。鏡から指先を離す。跪いて両手を合わせる。きみの覚悟を、言葉を、信仰を、矜持を、私はそのまま受け取り、そのまま尊ぼう。きみを死なせたくなかった。きみに生きてほしかった。そうして繰り返す仮定はきっと、きみをそこなうものだから。
 ですから、神様。やはり、私のこの後悔を知る者は、あなたと私だけでよいのです。

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