福富と新開が寮に帰ってきたのは日曜日の夜だった。名早大のオープンキャンパスが土日で開催だったので、外泊届を出して土曜の朝から都内へ行き、昨日は駅前のビジネスホテルに泊まったらしい。練習に参加させてもらったり大学内を見てまわったりと、せわしない二日を過ごした二人はやはりどこか疲れの残る顔で帰ってきた。そんな福富と新開を談話室で迎え、東堂は満足そうに笑った。
「おかえり、フク、隼人。大学はどうだった? ハードだったか?」
「ただいま。ああ、やはり大学はレベルが高い。オレももっと練習しなければな」
「ありがとよ尽八。ただいま。もうすっげえ疲れた、めちゃくちゃ腹減ったぜ」
その前に受からないとな、それはいま言っちゃだめだぜなどと東堂と話しながら、疲れと空腹に耐えかねて新開がどさりとソファに腰をおろした。それを見て福富がわずかに眉をひそめる。
「新開。まずは部屋に行かないといつまでもそこから動けなくなるぞ」
「わかってるんだけどさあ、もう限界。やっぱ尽八とかの顔見ると一気に疲れがくるんだよなあ」
「なんだどういう意味だこの美形に向かって! 疲れがとれるの間違いではないのか!?」
そういう意味ではないとわかっていながら、からかうように声を荒立てた東堂にへらあと新開がゆるんだ笑顔を向ける。ちがうよ、安心するってことさ、と言い訳すると、勿論わかっているさと東堂がからからと笑った。
ああ、帰ってきた、という感じがする。大学とその周辺を見て回れることにくわえ、わずかながらも練習に参加させてもらったというのは本当にありがたいことであるが、しかしやはり高校生二人だけで慣れない土地に行くとなれば当然気を張る。大学生や大人だけの環境となればなおさらだ。帰ってきて友達の顔を見てやっと張りつめていた糸がゆるむというのは東堂にも身に覚えがある。だからこそできるかぎり、福富や新開だけにかぎらず、東堂は帰ってきた友人たちを談話室で迎えているのだった。
「靖友は?」
脱力しきった身体をソファに預けてなんとも締まらない顔でにこにこしていた新開だったが、帰宅に安堵してしばらくすればやはりここにいないもう一人が気になる。疲れたからだをわずかに起こして荒北の名前を呼ぶと、東堂はため息とともにまだ勉強してる、と言った。
「まだやってるのか?」
「ああ。そろそろ腹をすかせて出てくると思うが……」
「靖友すげえよな、あんなぎゅーって勉強して頭痛くなんねえのかなあ」
「もともと集中力はあったからな、あいつは」
とはいえ夕食から姿を見ていないとなれば心配にもなる。これが他の誰かであれば部屋にこもっていてもそれなりに息抜きをしているのだろうなと思うところであるが、荒北は休憩時には必ず部屋から出てくるらしいということをここ数ヵ月で学んでいた。つまり、部屋から出てこないということはノンストップで勉強しているということになる。コンスタントに短い休憩をとるというよりは、とにかくのめり込むように問題集やら過去問やらをやり、電池が切れたら長めの休憩を取りまた気が済んだら部屋に戻っていくというスタイルらしい。荒北らしいといえばらしいやり方である。
「オレ靖友が戻ってくるまで待ってようかな。寿一は?」
「オレは先に片付けてくる。荒北が出てきたら呼んでくれ、出てくるから」
「了解だ、フク。おつかれ」
「おつかれ寿一!」
いつもよりはいくらか緩慢な動きで荷物を抱え、福富は自室へと帰っていった。福富を見送ると再びだらんとソファに沈みこんだ新開の向かいに東堂も腰をおろす。そうして他愛もないような会話をだらだらと続けていた。
疲れたァー、休憩ィ、とあくびをしながらゆるいスウェット姿の荒北が談話室に現れたのは、それから十分とたたないうちだった。
「靖友! 勉強おつかれ!」
「あ、新開おかえりィ。おつかれさまァ。福チャンはー?」
「フクは先に片付けると言って部屋に戻ったぞ。あとで顔を出してやってくれ」
「おー」
完全にガス欠らしく、じゃっかんふらふらした足取りながら新開の隣までやってきた荒北は、新開と同じようにどさりと腰をおろした。よほど疲れているのかすべての語尾がのびている。
「あーやべー完全に電池切れたわ」
「何時間?」
「えーっとォ、夕飯食ってからだからー」
「二時間半だな」
「そうそうそんくらいかなァ」
んー、と首をかしげながら指を折ったり戻したりしていた荒北にため息をつきながら東堂が答えた。こいつ本当に大丈夫か、と書いてあるような東堂の呆れ顔に新開は思わず吹き出した。
「引き算もできなくなってしまったのか、荒北よ……」
「だーかーらァ、電池切れだって」
「靖友、そんなに根詰めてやって頭痛くなんねえの?」
「痛くはなんねーかな。けど、だんだん処理速度遅くなってくの自分でわかる」
「オレは心配だぞ。試験中に電池切れになったらどうするのだ」
「糖分取って三分寝りゃ戻んだヨ。試験はそれでなんとかすっからだいじょーぶ」
それは命を削っているのでは……と思った東堂だったが、聞く耳を持たない荒北になにを言っても無駄だろうと考え直してもう一度、ため息だけを吐き出した。
「しんかァい」
「おー」
「腹へったんだけどォ」
「オレもだぜ靖友!」
「……とーどー」
「尽八ー」
「……」
「東堂ー」
「尽八ー」
「……はぁ、夜食をいただきに行くとするか」
なぜこいつらはこう、良く言えば自分に正直、悪く言えば考えなしなのだろう。考えなしというか、考えることを放棄している。朝のうちに自分で自分のぶんの夜食をお願いしているくせに、なぜその発想に自分で至らずにひたすら東堂の名前を呼ぶしかしないのだろうか。なんだか二人がとてつもなく情けなく思えてきた東堂の心中など知らずに、荒北と新開はのんきに夜食なんだろうなァ、やったぜ、楽しみだな、などと期待に胸を膨らませている。
先ほどまでソファに根っこをはっていたとは到底思えないような軽やかな動きで新開が立ち上がった。続いて東堂、そして気だるげな動きで荒北も立ち上がる。談話室から食堂に向けてゆったりとした足取りで歩いていく。しかしもうだいぶ食堂に近づいてきたあたりで、荒北が、あ、と声をあげた。
「どした靖友」
「あー、先行ってて、福チャンとこ行ってくんの忘れてた」
「荒北! フクがかわいそうではないか!」
「ッセ! オレだって福チャンごめんって思ってンよ!」
「寿一も腹減ってねえかなー、寿一も呼んで一緒に食おうぜ」
「そうだな、そうするか」
がやがやと言葉を投げ合いながらきた道を戻っていく。疲れているはずなのに足はゆるゆると、しかし軽やかに動き、そうして歩いているうちにあっという間に福富の部屋へと到着した。コンコンコンと三回ノックすると少し間をおいて足音が聞こえ、ドアがゆっくりと開かれる。
「荒北」
「福チャンおかえりィ。おつかれさまァ」
「ありがとう。荒北も勉強おつかれ」
「ん、あんがとネ」
「なあ寿一腹減ってねえ?」
「いまから夜食をいただきに行くところなのだ。フクもどうかと思ってな」
「なー行こうぜ福チャン」
「わかった、少し待っていてくれ」
そう言って福富は引っ込み、一分もたたないうちに再びドアを開け出てきた。今度は四人でのんびりと食堂に向かって歩いていく。
「なあ寿一、さっき寝てた?」
「……寝てなどいない」
「うそだ、うとうとしてただろ」
「していない」
「目泳いでるぜ」
「お、……泳いでない」
「こーら隼人、あまりフクをいじめるなよ」
「すまねえ、寿一はからかいがいがあるからさ」
「ム」
「新開ヤメロ! 福チャン気にすっからァ!」
「本当に靖友は過保護だな」
「過保護というか荒北のはあれだ、ええと、そう、フクコンプレックスだ」
「上手いな尽八! フクコンか!」
「オメェらほんといい加減にしろよ!?」
相変わらずの呆れ顔ながらも笑いを隠しきれていない東堂とげらげらと笑う新開に半ば本気で切れる荒北、気にしているのか言葉少なになってしまった福富、いつも通りのテンポで会話しながらカウンターの内側に入り冷蔵庫のなかにしまわれた夜食のトレーを取り出す。電子レンジにいれて一分半、取り出した親子丼はほかほかになっていた。内側にびっしり水滴のついたラップを指先ではがして丸めて近くにおかれたごみ箱に捨てる。
「あー、やっばい超うまそう」
「夜中の親子丼とか凶器以外の何物でもねえよなぁ」
「狂ってるほう?」
「オレを殺しにくるほう」
「あー早く食いてえなあ、早くオレも殺されたい」
「親子丼にかよ」
「ラーメンでもいいぜ」
「じゃあ新開の親子丼オレもらうわー」
「やめろよ靖友オレが死ぬぜ!?」
「どっちみち死ぬんじゃねえか」
ふ、と笑いをこぼしながら荒北が椅子を引き座る。おまえたちは席に着くのも待てないのか、と言いながらその斜め左前に東堂、座るまでも惜しいんだよと笑いながら東堂の正面、荒北の左隣に新開が腰を下ろす。そして荒北の正面に福富が座るのを待ち、四人が同じタイミングで両手を合わせる。
「いただきます」
いつからか固定になった、四人の定位置である。二学期と三学期の三年生にだけ特別に作ってもらえる夜食は、今日もほかほかとあたたかくおいしく、男子高校生たちの腹と心を満たしていった。
※コメントは最大1000文字、10回まで送信できます