仰げば尊し

 ある日、家に帰って鍵を閉めるとき、そこに蓄光シールが貼られていることに気付いた。ただいまのあとにどうしたのこれ、と母に聞くと「引き出しの奥から出てきたのよ。そしたらお父さんが、閉め忘れてても光ってたら気づくかなって」と返ってきた。光るやつ? そう。今日貼ったばっかりだから光ってないね。そのうちたまったら光るんじゃないの。ていうか、本当に光るのかしらね。
 その日から、玄関の鍵のつまみにはうっすらと緑がかった白のシールが貼られている。まだ一度も、ちゃんと光っているのを見たことはない。

 夏の空だけ青さの種類が違うのはなぜだろう、というようなことを毎年思っているような気がする。そんな、高校一年生の七月だった。一学期が終わり、新入部員のメンバーはもうおおかた固まって、月末には合宿。梅雨の時期のどんよりした空気を払拭するのに一役も二役も買っていた紫陽花は、とっくに枯れてしまってまるで嘘のように存在感がない。たったの数歩歩くだけでもう汗が噴き出して、体育館を通り抜ける風は熱風、そんないつも通りの夏だった。もう、新入生が一年生になっていた。そわそわと浮き立つような、それでいてどこか落ち着かないような、そんな新生活の真新しさは夏の到来とともにとっくに消え去っていた。そんな、例年通りの七月だった。
 「木兎さん」のことを、はじめて知ったのは新歓期だった。こんなふうに自由自在に体を操ることができたらどれだけ楽しいんだろうと思った。一挙手一投足から楽しいという感情があふれ出してくるような人だな、と思った。「木兎さん」は、コートの中でもコートの外でも自由奔放という言葉がどこまでも似合う人だった。そんな「木兎さん」に引っ張られるように入部した人間はたぶん大勢いる。おもしろくて騒がしくて気さくで、どこまでも自由でいつだって楽しそうな先輩。それが自分を含む多くの一年生の、「木兎さん」のイメージだった。
 一年生と入れ替わりに、上級生が休憩に入った。あちーあちーと口々に言いながら水道に向かって駆け出していく。暑さと運動量にやられ緩慢な動きになっている一年生に比べて上級生たちはやはり元気が有り余っているようで、誰かがぽつりと「体力つけなきゃな」とつぶやいた。
 体育館のなかに目を戻すと、外の直射日光の明るさが急になくなったので目がちかちかした。瞬きを繰り返してやっとハレーションが収まったとき、木兎さんはまだ休憩に入らずにそこにいた。同級生はスポーツドリンクを流し込んでいたが、休憩行かないのかなと不思議に思いながら木兎さんのことを見ていた。木兎さんはじいっとネットの白帯を見つめていた。それからゆっくりとボールを上に放り、踏み切った次の瞬間、木兎さんの体がばねのようにしなった。釘付けになる。吸い寄せられる。まるで、引力のように。
 その姿が、まるでスローモーションのように見えた。体育館のなかに反響する、同級生の話し声や誰かの足音や上級生の使う水道の音が、一瞬で遠くなったような気がした。
「おーい木兎、早くしねえと休憩終わるぞ!」
 そう、外から声が飛んできたのと、ボールが勢いよくネットの真ん中あたりに当たったのは、ほぼ同時だった。それを皮切りにどこかに飛んで行ってしまっていた声や音が戻ってくる。おー、と元気に返事をした木兎さんはボールを拾って籠に投げ入れ、呆然とする自分の傍らを軽やかに駆け抜けていく。固まってしまって、邪魔にならないように脇に避けるのが精いっぱいだった。会釈することなんてすっかり忘れてしまっていた。
「おまえなにしてたの?」
「んー、なんかいますげーのが決まる気がしたんだよな!」
「決まったかよ」
「ネットが半分くらいの高さだったらなー」
「決まってねえじゃん!」
 そんな笑い声も、右から左へ通り抜けていく。呆然としている様子に同級生に熱中症を心配されて慌てて自分のボトルのもとへと走ったが、その間も頭の中ではたった数秒の光景が繰り返し繰り返し流れていた。遭遇、という言葉が脳裏に浮かんだ。

 その日から数日後、自分がセッター志望だというのを聞いて目を輝かせた木兎さんに「自主練付き合ってくれよ!」と言われたとき、考える前に大きく返事をしていた。自分の声の大きさに自分で驚き、木兎さんも驚いていたが、すぐにニイッと笑った。
 練習が終わって一旦ミーティングに集まり、そのあと、自主練が始まる。自主練と言ったところで当然時間に限りはあるわけで、木兎さんはその一分一秒を惜しむように練習する人だった。はじめて木兎さんにトスを上げるという日、胸の内を占めていたのはほんのわずかな不安と、それを塗りつぶすのに十分なだけの高揚感だった。あの、あのスパイクが近くで見られる。レギュラーの先輩に上げてもらわなくていいんだろうか。でも、見たい。体感したい。あの、時が止まるような光景を。引力に引っ張られるような衝撃を。
 そんなふうに期待が膨れ上がっていく一方、いろいろな先輩に声を掛けられ、口々に断ってもいいんだぞと言われた。その日は正規練習が始まる前からそんな調子だった。心配されればされるほど謎が強まっていく。一年がやめとけよというよりも大丈夫なのかという心配のほうが色濃いのが疑問に拍車を掛けた。しかし、呑気に首をかしげていられたのは練習が始まるまでだった。とにかくきつい。体力も、技術もなにもかも足りない。木兎さんが自分自身に求めるレベルに天井なんてものはなく、そのぶん当然こちらへの要求のレベルも高かった。足りない、もっと上手くならなきゃ、練習しなきゃ。焦燥感が渦巻いて飲み込まれそうになる。怒涛の自主練が終わったあと、木兎さんには「悪いついいつもの調子でやっちゃって! ごめん!」と謝られた。謝るのは自分のほうだ、と思った。自分の拙さのせいで、木兎さんに迷惑をかけたのが悔しかった。
 それからはもう、ひたすらにバレーが中心の生活になった。夏休みに入って練習が格段に増え、気絶するように眠る日々が続いた。それでも少しずつ運動量に慣れ、体力がつき、できないことができるようになっていっているという実感があった。バレーをするための神経が形成され、繋がっていくような感覚。
「赤葦、ナイス!」
 はじめて木兎さんがそう言ってくれたのは、合同合宿の中日の自主練のときだった。それから、木兎さんがいまのよかった! と興奮気味にほめてくれるようなトスを上げられるようになった。相変わらずたまにではあったが。できるようになると楽しくなる。「上手くならなきゃ」という焦燥感は、だんだんと「上手くなりたい」に形を変えていっていた。
 木兎さんだけじゃなく、みんなのいいプレーを引き出せるようなセッターになりたい。いつしかそう思うようになっていた。練習することも、覚えたいこともできるようになりたいことも山ほどあった。次第に同級生や木兎さん以外の先輩とも合わせることが増えていき、時間なんていくらあっても足りなかった。
 だから、いつしか明後日の方向に向かっていた木兎さんへの感情の、それの相手をしている暇なんてなかった。

 と、そんなことを言っているうちにあっという間に月日が経ち。
「卒業おめでとうございます、赤葦先輩!」
 自分のために仰げば尊しを歌う年になってしまった。
 感傷はそこまでなかった。ああこれで最後かと思うもののどこか現実味がないというか、実感がないというか。去年先輩たちを見送ったときのほうがよほどさびしかったし、卒業式よりも引退式のほうがよほど涙腺はぎりぎりだった。いつだってどこか実感がない。数週間前に引退した。それでもうバレーボールは終わりにした。そして、今となってはもはや全部夢だったような気すらする。
 体育館。たぶん、ここに高校三年間のすべてがあった。
 一年前の引退式、先輩たちが梟谷学園高校でした最後の試合を思い出す。点を重ねるごとに終わりが近づいていく。ああ、もうすぐ。試合が決まってしまう。終わってしまう。
「ラスト!」
 そう言ってトスを呼んだ木兎さんが踏み切り、跳び、一瞬空中で静止する。音が消える。まるでスローモーションのようだった。一年前の七月に見た、焼きついて離れなかった姿と重なった。いや、それよりも、一年前よりもずっと。
(ああ、やっと、このひとにちゃんとトスを上げられた)
 ずっと、この姿が見たかったのだった。それだけでもう、十分だった。

 ループし続ける威風堂々に見送られながら体育館を後にした。このあとは写真を撮ったり部活で集まったり、たまに後輩の女子に呼ばれる奴がいたり、ボタンやらネクタイやらがもらわれていったり、そういうイベントごとのあとにクラスごとの集まりに流れていく。高校二年間ずっと片思いしていました、と一つ上の先輩に告白する人は案外多いらしい。そういう話を聞くと純粋にすごいなと思う。週五日とか六日練習があって、しかも試合に勝つという目的に向かって日々を重ねるとなればぽやぽやした感情だけでいられるわけがない。いろんな部分を知っていくのだから当然だ。面倒なところとか雑なところとかいい加減なところとか。尊敬、憧れ、それだけでずっといられるわけもない。親しくなり、いろんな面を知れば知るほど、どんどん日常の一部になっていく。そうして感情の種類と形があいまいになっていくことを良しとしたのは、結局のところ、やはり木兎さんが好きだったからなのだった。
 そのくせに、さびしさが持続したのはせいぜい一週間といったところだった。自分たちが一番上の学年になり、運営が段違いに忙しくなって飛ぶように時間が過ぎていった。でも、そういうものなのだろうと思う。いつまでも同じところに立ち止まっていられるはずがない。きっと去年先輩たちがいなくなっても平気で毎日に流されていったように、こんなに毎日毎日飽きずにやっていたバレーをやめても平気で毎日を過ごして、そのうちあのころ本当にやってたのかな、なんて思うようになるのだろう。

 木兎さんから久しぶりにメールがきたのは、卒業式の次の週のことだった。試合に応援にきてくれたときと年賀状くらいでしか繋がっていなかった木兎さんが、わざわざ卒業オメデト! とメールをくれたのにはかなり驚いた。覚えてたんですか、ありがとうございますと返信すると一年下なの忘れるわけないだろと返ってきた。そこじゃなかったんだけどな、と思わず笑ってしまった。やりとりも早々に久しぶりに会うことになり、日付も決まった。春休みのうちにみんなで集まるらしく、それで声をかけてくれたらしい。木兎さんらしいな、と思った。
 約束の日、家を出る前、はじめて玄関の鍵に貼られたシールがちゃんと光っていた。別に今までだって光っていなかったわけではなく、うっすら光っているような気がすることはたまにあった。おお、ちゃんと光ってる、と思いながら外に出て、鍵を閉めようとしてパスモを忘れていることに気付き、ばたばたと部屋に戻った。そうして今度こそ家を出ようとしたとき、もうそれはいつも通り、はっきりとは光ってはいなかった。

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