最初に起きたのは七時だった。隣に赤井はいなくて、でも今日はお休みの日で、まだ早かったしそこから二度寝して、もう一度起きたのは十時だった。
眠いわけじゃない。でもなんだかシーツとさらさらした布団から離れがたくてごろごろしていた。そんなときゆっくりと扉が開いた。ひじをついて体を起こすと、やっぱりというか、やっぱりというほどでもないんだけど、赤井だった。当たり前だ。赤井とわたし以外にこの部屋には誰もいないんだから。
「おはよ」
「おはよう」
そう言うと、赤井はもぞもぞとわたしの隣に潜りこんできた。ハーフパンツ。そこから伸びたすらーっとした足はさらさらひんやりしていて気持ちいい。
「寝るの?」
「んー……零、足、のっけて」
「こう?」
「ちがう。こう」
そう言って赤井はわたしの太ももを器用に足で引き寄せて、自分の足と絡ませた。それからふふふ、と子供みたいに笑う。
「あったかーい……」
「きもちいい?」
「うん」
うすい布団をしっかりとかぶった赤井が、眠そうな目を開けてわたしを見た。幸せそうな顔だなあ。それだけで、あきれてわたしはもう一度布団に戻りたくなってしまう。
ぼすん、とからだを横たえた。すぐそこにいる赤井がもぞもぞと寄ってくる。そんな赤井の胸元にすり寄ると、赤井はわたしのからだをぎゅうと抱きしめてくれる。ぽかぽかした体温があたたかい。顔をあげたら、赤井はあいかわらず幸せそうな顔をしていた。それがなんだかにくたらしくて、わたしはわざとらしく口をとがらせてみる。
「起きようと思ってたのに」
「こんなにあったかいのに?」
赤井はすり、と足を動かした。こうやって足をくっつけるのは好きだ。ひんやりした赤井の足と、寝起きのまだぽかぽかしたわたしの足と、とにかく気持ちがいい。おまけに赤井のからだは意外とやわらかい。
「もー……」
だから、わたしは赤井の誘惑にのることにした。だってお休みの日だ。口ぶりだけは文句の体をとって、でも小さく微笑みながら、赤井の腕枕に甘えることにする。
「起きないの?」
「……いじわる」
「ふふ、ごめん」
ぎゅう、と腕に力をこめる。赤井はくすくす笑いながらわたしの肩とか、胸とかに鼻先をすり付けてくる。ああ、かわいい、と思う。
赤井とわたしは、別に付き合っているわけじゃない。付き合ってるわけじゃないというのは、まあ言葉のとおりだけど、一緒に住んでるのは同棲ではなくて同居だということだ。友達……かどうかはよくわからない。恋人じゃないのは百パーセントたしか。まあ、ルームメイトって言葉がいちばんしっくりきてるんだと思う。
とはいえ、そういう話をまったくしたことがないというわけでもない。赤井が転がりこんできてしばらくたったあと。話をふったのはわたしだった。別に深い意図があったわけではなくて、ただの日常会話の流れだった、と思う。たぶん。
「女どうしってどうするんですかね?」
なんでもない夕食の会話のなかでわたしが言うと、赤井はきょとんと首をかしげて「……私としたいのか?」と言った。
「したい……って?」
「そういう話じゃない?」
赤井はわけがわからないというような、難しい顔をした。それで反対にわたしは笑ってしまった。それが赤井をさらに難しい顔にした。
「零?」
「あはは、すみません。違う違う、あ、そういう話だけど、したいとかじゃなくて純粋な興味」
「そうか」
「赤井は?」
「同じく、だな」
「そうでしょ」
で、ただそれだけ。
女どうしというのは便利だ。お風呂上がりに暑くて下着だけでいてもなんにも問題はないし、出掛けたり外食するのと赤井をきせかえ人形にするのも楽しい。仕事、食事、アルコール、身支度にかかる時間、いろんなものに対するテンションが同じなのはほんとうに楽。
たぶん、優先度の問題なんだと思う。女だからっていうのもあるんだと思うけど、赤井もわたしも、三大欲求のうち性欲の存在感がめちゃくちゃに薄い。食欲と睡眠欲、それが満たされていれば幸福だ。だから一緒に食事をするし、キスとセックスはしないししたいと思ったこともないけれど、一緒に眠るし、手を握ったりハグをしたり胸に顔をうずめたりはする。もっとも、胸に顔をうずめてくるのはほとんど赤井だ。そういうときの赤井は、やわらかい……ってひどく幸せそうにしみじみと言うから、わたしも幸せになって笑ってしまう。
つまり、赤井にとっての煙草とアルコール、それからわたしにとっての上質な睡眠と野菜のほうが、よっぽど優先度が高い。そういうことだ。
ゆっくりと目を開けると、すぐそこに寝起きの赤井の顔があった。結局三度寝してしまったらしい。
「おはよう」
赤井は、やさしい顔でわたしの頭をなでる。
そういえば、赤井のことだけど。やるべきことはもうやったと謎の思いきりの良さを発揮した赤井は、ちゃんと引き継ぎとか育成とかをしたうえで、あっさりと仕事をやめてしまった。もちろんわたしはひどく驚いて、でもなんでだか、赤井らしいなと思ったのを覚えている。
「無職になってしまった」
仕事をやめたのは自分のくせに困った顔をしてやってきた赤井を、わたしがあきれた顔をしつつも部屋に入れてしまったのは、たぶんその顔が、やけにかわいかったからだ。そう、かわいかったのだ。今までに見せたことなんて一度もなかった隙のようなものをのぞかせる赤井が。それでころっといってしまったわたしは赤井を甘やかし、同じだけ赤井に甘やかされ、気づいたときにはもう赤井は完璧にわたしの部屋の住人になっていた。
お金には困ってないんだ、と赤井は言った。わたしが仕事しないの、と言ったときに。使い道がないから全部貯金してた、だから当分は大丈夫。あー、と思った。わたしは就職先を探す赤井を思い浮かべる。赤井のことだからその気になったらささっと新しい仕事を見つけてしまいそうだ。でも、赤井には普通の仕事は似合わない。似合わないというか変なかんじ。だったら無職の赤井のほうがかわいいし、しっくりくる。
「じゃあ、養ってあげようか」
わたしがちょっと悪い顔をつくって言うと、赤井は存外まじめな顔をして「いや、さすがに悪い。ちゃんといくらか納めるから」と言った。わたしが声をあげて笑うと、赤井は不思議そうな顔をして、零? とわたしの名前を呼んだ。そういうところも、わたしのつぼなのだ。
「なに考えてるの?」
「んー?」
赤井はまた顔を寄せてくる。すーっと指先で腕をなぞるとくすぐったそうに笑う。
「赤井のこと」
「なんだそれ」
赤井の反対側、ベッドサイドに手を伸ばして携帯をとる。十一時十七分。あっという間に一時間がたってしまってる。
「起きよっか」
携帯をもう一度ベッドに戻しながらわたしが言うと、赤井は名残惜しげに足をすり合わせてからお行儀よくからだを離して起き上がった。わたしも起き上がる。布団をはがして伸びをして、ベッドから抜け出す。赤井は先に起き上がったくせにまたうつ伏せになっていて、足をぱたぱたと動かしながら、わたしが寝間着のシャツを脱ぎ捨てるのを見つめていた。
「いいな」
「なにが?」
「胸」
箪笥から出したブラジャーに腕をとおして、前屈みになりながら胸をおさめる。なにが楽しいんだか赤井はそれをじいっと見ていて、それがすこし居心地がわるい。
「ほんと好きね……」
「だってやわらかいし、抱き心地もいい」
こういう話になるたびにわたしは赤井だって、と何度も言うのだけど、やっぱり赤井は自分のからだの抱き心地のよさを知らないらしい。だからわたしは言葉のかわりに、ベッドのうえでぺたりと座っている赤井の首に腕をまわして抱きしめてやるのだ。
「大胆だな」
「そう?」
赤井はぽん、ぽん、とわたしの背中をたたく。それを満喫してからわたしがするりと腕を離すと、赤井も満足したのか、ベッドから降りた。同じようにするりとシャツを脱いではベッドに放り投げ、ぐうっと伸びをしてから箪笥の下から二段目、赤井の段にしまわれていたブラトップを下から身につける。たしかに赤井の胸はわたしよりもささやかだけど、背中とか、足とか、そういうのはわたしよりもよっぽどきれいだと思う。
「零と私を足して二で割ったらちょうどいいのに」
「それができたらねえ」
ため息をつきながらわたしが言うと、めずらしく、赤井はけらけらと声をあげて笑った。
「今日の予定は?」
はじらいもなにもなくパンツの位置を直しながら赤井が言った。
「んー、とくにないけど……行きたいところとかある?」
「そしたらハンズ行きたい」
「ハンズ?」
「そう。タイルみたいなバスマットがあるんだって、チラシに書いてあった。ほしくない?」
目をきらきらさせた赤井に言われたら、当然わたしはうなずくしかなかった。ほしくない、って買うのわたしなんだけど、そう文句めかせて口にしたっていまから楽しみで笑ってしまうのは隠せてない。だって、わがままを言う赤井はすごくかわいい。赤井もそれをわかってるからたちが悪いし、わたしは赤井が見せるようになったそういう隙がすごく好きだ。
「コーヒーはいれてあるの」
「さすが。ごはんどうする?」
「出かけたついでにどっかで食べようか」
「うん。そうしよう」
今日はこの間新しく買ったスカートをはこう、と思う。それからお気に入りのハイヒール。赤井の服に茶々をいれたあとに家をでて、ハンズをぶらぶらしたあとおいしいものを食べて、おいしいワインを買って帰る。幸福だ、と思う。とっても。
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