ゴールデンレコード - 1/7

 技術は日々進展している。今や視力が悪いことは暑がり寒がり程度の個人の差異に過ぎない。眼鏡、コンタクトレンズ、ICL、まだ生まれていない医療技術。人の手では到底なし得ない、宇宙の年齢を遥かに超えるほどの時間がかかる途方もない計算を量子コンピュータが一瞬でやってのけることすら可能になった。昨年のニュース曰く、我々の存在するこの世界は多元宇宙であることの確度が高まったらしい。
 そんな時代においても、一度失われた神経を人間は未だ回復させることはできないし、生命の起源にも宇宙の果てにもまだ手は届かない。死後の世界は誰も知らない。追い求めれば追い求めるほど新たな障壁と謎が立ち上がり、いつまでたってもただひとつの解なんてものは完成しない。
 仮に、この宇宙も無数の宇宙のひとつに過ぎないとして、とバデーニは考える。この世界もまた無数にあり得るイフのひとつなのだとしたら、別のイフにおける自分はどのように生きている、あるいは生きていたのだろうか。
 
 
 一

 名前を呼ばれ検査室に入る。一昨年からおよそ半年に一度行っている視野検査だが、未だに慣れない。そこにあるはずの光を見えないと答えるたびに、一生これをやるのかと暗澹とした気持ちになる。現時点において日々の生活に具体的な支障があるわけではないのがせめてもの救いだが、ふとした瞬間に、本当に自分には見えていない部分があるのだなと突きつけられる。
 バデーニの右目の緑内障が発覚したのは偶然だった。もともと幼い頃から近視が強く、たびたび眼鏡が合わなくなり作り直していたが、合わせたはずの度なのにいざその眼鏡を掛けると微妙にしっくりこない。コンタクトの度もいつの間にかじわじわと進んでいく。自己診断でインターネットで買うのが悪いのかと思い眼科に行くようにしてみたが、視力は落ちていくばかり。そんなことがあまりにも続き、いい加減にしろとむしゃくしゃして、勢いで調べたら夜遅くまで開いている眼科が見つかったのでその足で受診したのが一昨年。度を改めて計ってもらい今度こそ自分に合う眼鏡を作るだけのつもりだったのに、視力検査に続いてあれよあれよと検査室に連行され、初めて経験するいくつかの検査ののち、告げられたのが緑内障だった。
 幸いにもそれなりに初期の発見だったため、点眼を続けていればまあ失明はせずにすむであろうと言われている。ただ、まだ四十代前半である。順当にいけばまだ半分近くある人生、この先どうなるかは医師にも自分にもわからない。完治も寛解もなく、進行をできるだけ遅らせることだけが唯一の治療法だ。
 緑内障は視神経の障害によって視野が欠損する病気であるが、普段人間は目を動かしながらものを見ているため、日常生活の中で視野が欠けていると意識することはほぼない。そのため自身では気付きにくく、視力検査だけでは病気を発見できない。定期検診の重要性が呼び掛けられるゆえんである。
 同時に、緑内障であっても日々の生活は変わらない。両目でものを見て、脳も欠けた視野を補おうとするため、見え方はほとんど変わらない。よくコマーシャルやパンフレットに描かれるように、視界の中心がぼんやりと黒く欠落するわけではない。眼帯はいらないし、眼鏡も単に元の視力が低いから手離せないだけ。それでも生きている限り一生付き合っていくしかないというのがこの病気である。
 診断を告げたあと、近視の方は要注意なので早く見つけられて本当に良かったです、とバデーニと同年代の医師が言った。やり場のない憤慨をそのまま口に出すと、医師は苦笑を返す。
「わざわざない時間を作って通っていたのですが。あの眼科はヤブ医者だったということですね」
「いや、診断に必要なデータを取れる機器はどの病院にもあるわけではありませんから……決してヤブというわけでは……。どうしても、写真を撮らないとわからないので、うちではできるだけ撮るようにしているんです」
 そこまで言われれば矛を納めざるを得ない。大きく深呼吸をして、わかりました、と頷くと、彼は安心したように微笑んだ。
 この日をきっかけに、バデーニはかかりつけの眼科を変更することにした。ちなみに、作り直した眼鏡はやはり絶妙に使い勝手が悪く、フレームと顔の距離がものによって異なるせいだと説明され、うっかり納得してしまったのでもう諦めた。
 検査を終えて待合室に戻る。待合室には様々な病気の啓発リーフレットだけでなく、ファッション誌からなぜか科学誌まで置いてある。近隣であること、平日の夜遅くまで診察していることからバデーニはこの病院を選んだが、彼の背中を押したのはそれらだけではなかった。幼少期に行っていた病院と同じ名前の病院だったことに偶然を感じたのだった。まあ、かつて通っていたのは眼科ではなく内科だったが。
 看護師や検査士とも顔見知りになった頃、そういえばあの内科も待合室にやたら本やら雑誌やら置いてあったな……と思い出した。その話を診察の合間の雑談の際に持ち出したところ、なんと。
「あ、それ、もしかして妻の実家の内科じゃないですか?」
「は?」
 衝撃の事実が発覚した。知ったときは思わず声が漏れた。告げられた住所は確かにかつてバデーニが住んでいたあたりだった。
「妻は家の内科を継いでるんですけど、僕は眼科なので。それで今はフロア上下なんです」
「上下……?」
「あれ、バデーニさんもしかして気づいてなかったですか? 上の階の内科は、その義父と妻がやっていますよ」
 確かに今住んでいる場所と実家はそれほど離れていないが、まさか移転していたとは。その日の帰り道、改めてエレベータ内のテナント一覧をよく見ると、確かに内科・眼科と上下に並んで書かれていた。違うデザインだったので全く気づかなかった。世間は案外狭い。そして人間の目は、割と節穴である。

 支払いを済ませてまた三ヶ月ぶんの目薬を受け取り、家に帰ると、母校から封筒が届いていた。会報誌かと思いろくに見もせず適当に机に放ったが、手書きの文字が視界の端に映り改めて手に取る。よくよく見ると、そこには恩師の名前が書かれていた。
 クラボフスキはバデーニの担任でもなければ授業の受け持ちでもないが、彼とは学生の頃から今に至るまでなにかと交流が続いていた。図書館の司書も兼ねていたクラボフスキは、生徒が自分では手に取らなかったであろう、しかしその生徒に何かしら響く本を薦めるのが上手かった。バデーニもまた、クラボフスキに懐くのに時間はかからなかった。
 彼がレポートの内容を盗んだと同級生に言いがかりをつけられて取っ組み合いの喧嘩をして大騒ぎになったとき、なかば呆れたように「バデーニさんがそんなことするわけないとわかっていますよ、わかってますけどね」と言いながら怪我の手当てをしてくれたのもクラボフスキだった。同級生は知り合いの上級生から過去問やレポートを横流ししてもらっていたらしい。出来が良いからと教師がバデーニのレポートの一部を紹介したところ、元々持っていた反感に火をつけてしまったのだろう。その一部の言い回しが似ている、剽窃したんだろうと言いがかりをつけてきたのだった。
 もちろん完全なる言いがかりだ。バデーニからすれば、見たこともない文章をどうやって盗むというのか、というか自分のほうがよほど精緻に分析しているし考察も深い、一緒にされるなどたまったものではないというところである。バデーニは人生で一、二を争う瞬発力で怒り狂った。そして怒りに身を任せて同級生を殴り、その際親指を握りこんでいたので指と手首を思いっきり痛めた。痛恨のミスである。しばらくペンを握るにも難儀したのは今も苦い思い出として残っている。
 クラボフスキは、怪我をさせたことには教師らしく苦言を呈したが、バデーニが怒り狂ったことについては何も咎めなかった。ただ一言、痛みに顔をしかめつつ本の貸出表に書き込む彼に、
「損だと思いませんか?」
とだけ言って小さく笑った。なかなかよく生徒の本質を見抜いている教師である。
 母校からの封筒を開けると、数ヵ月前に届いた前号の会報誌と手書きの手紙が入っていた。会報誌には付箋が貼られており、そのページを開くと各界で活躍している卒業生によるエッセイの見開きとなっている。いつ見ても丁寧な字を書くな、と思いつつ手紙に目を走らせると、次々号へのエッセイの寄稿と、もし都合が叶うなら講演も頼めないかという依頼が綴られている。講演の場合は学校のほうでその内容を記事化してくれるので自分で書く必要はないらしい。彼の人柄そのもののような丁寧な文章を読んでいると、記憶の中にしまわれていたその声が頭の奥で聞こえてくるようだった。
 講演の日付は数ヵ月先だった。すぐさま確認した手帳のページはまだまっさらだったが、念のため大学にも確認してから返事をしたほうがよいだろう。ようやく椅子を引いて座り、手紙に添えられた名刺を見比べながらアドレスを打ち込む。挨拶もそこそこに予定を確認するからしばらく待ってほしい旨を書き、送信。
 スマートフォンを机に置き、代わりに冷暗所保存が必要な目薬を手に立ち上がった。開いた冷蔵庫の中には最低限の買い置きしかない。やりたい研究もやらなければいけない手続きも無数にある。時間なんてどれだけあっても足りない。講演は気が進まない。そう思うが、恩師の頼みなら致し方ない。

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