明日は燃えないごみの日

 その後ろ姿を久しぶりに見かけたのは、高校を卒業してから半年と少し経った頃だった。

 卒業式の三日後、今吉はふらりと行き先も告げずに自分の周囲からいなくなった。同じ都内に住み同じ大学に通っているはずなのに感動するほどに会うことはなく、また四月になれば顔を合わせることもあるだろうという期待は早々に裏切られた。
 五月、いつもの悪い冗談かと思って電話をしてみれば聞こえる丁寧な女性オペレーターの「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」の録音、メールならと送信ボタンを押せば瞬時に届く「ユーザーが見つかりません。@以前をご確認ください」のメッセージ。
 自分を含め今吉と面識のあった人々と一切合切の連絡を断ちこれは自分探しの旅にでも出掛けたんじゃなかろうかと本気で思い始めた六月、突然同じ学部の女子から耳にした目撃情報。都内のどこかに住んでいるらしかった。それにしても大した姿の眩ましようだ。
 同じ学校にいるのに姿が全く見えないという事態の深刻さに少し凹んだ七月、初めて心の底から青峰に同情した。これはなかなかの精神攻撃だ。もっとも今吉と黒子とでは本当のところは全く違う理由、今吉は単純に面白がっている。これは最初から確信。
 八月、今吉の目撃情報をくれた女子となし崩し的にそれなりの雰囲気発生。ささやかな意趣返し。勿論交際期間中は彼女にそれなりの誠意を尽くし、九月末には別れた。

 そして、十月。
「諏佐ぁ」
 全ての元凶、帰還。

 発見時の今吉は高校時代よく通った本屋のよく彼が立ち読みしていた本棚でつまらなそうに文庫本をぺらぺらと捲っていた。その自然体たるや驚きのあまり最初は言葉が出ず、ぽかんと立ち尽くしていたところに先の台詞である。おまけにコンビニから遅れて出てきたときによくやるゴメン待った?みたいな感じで手を振ってきやがった。それから文庫本を棚に戻し、間抜けな顔、とあのうっすらした笑いを浮かべながらのたまう。
 背丈はほとんど同じ。高校時代も長めだった髪は今では更に伸びており、あまりに伸びると鬱陶しがっていたのにと違和感を覚えた。正直なところは今吉が鬱陶しいと感じ始めるラインがどこなのかよくわからない。シンプルな白の長袖に細身のジーンズ、明らかに間に合わせの服装なのになぜかそれなりの見目だ。その証拠にちらりと女性店員が今吉の姿を遠目に伺っていた。こいつは顔はいいけど性格はサイアクなんです、やめておいたほうがいいですよと心の中で彼女に警告した。
 今までどこにいたんだよとか何その髪伸び放題じゃねえかとかついにサトリが長じて世界の警察が最終手段で頼る顔の知られていない探偵の三代目にでも就職したのかとかせめて連絡先くらい寄越してから音信不通になれとかあれでもそれじゃあ音信不通じゃなくね? とかさっきまで買いにきた参考文献のタイトル覚えてたのに忘れちまったじゃねえかちくしょうとか言いたいことは山程あったはずなのに、情けないことにやっと出てきた言葉は
「いた」
の、たった二文字だけだった。

「そんな拗ねるなやー」
「拗ねてねえよ」
「ええー傷付くー」
 早足で歩く自分の隣をなに食わぬ顔で歩く今吉。咄嗟にその手を引いて本屋から出てきてしまったのは駆け引き的な意味で完全に自分の手落ちだが、それにしても図々しさに磨きがかかっておられる。会話もそうだ、なんなんだこの絡み方。今までのタイムラグはどうした。他に何か言うことがあるんじゃないのか。あとなんでさっきからついてくる。いやまた消えられても困るが、それにしてもこのままうちにでも来るつもりか。ていうか髪鬱陶しいな切れよ。口に出さずに悪態を吐き続けると傍らでくつくつと今吉が笑う。思っていた通りサトリは健在らしい。
「切ってほしいん?」
「……おまえそこまで長いのは嫌いじゃなかったっけ」
「んー、せやけど一緒に住んどった奴が長い方が好きやて言うし」
 ぴくり。
 足が止まった、ら今吉の思う壺なのでかなり意識して左足を前に踏み出す。止まったら負け。そう思っていることすらもわかっているらしい今吉の表情はつやつやと輝いていた。楽しそうで何よりです。もう自棄。
「誰と住んでたか気になる?なあ気になる?」
「はいはい気になる」
「じゃあ教えてやらんもーん」
「そういうところ相変わらずだな」
 わざとらしくこちらを見つめて笑ってみせるところとか。わざとらしい振る舞いは好きじゃない。人並みの付き合いで何回か顔を出した合コンで萎えたことなんてほとんど毎回だった。計算ずくの視線や仕草は目につく。好きじゃない。けれど。
「しゃあない、教えてやろうかなあ」
 悪戯っぽい企み顔。こういう、こいつのわざとらしさからは目を逸らせないのはなんでだろう。
「あー、薬学部の男のところだろ?」
「あ、知っとったん?つまらんわー、まあ他にも何人かの家転々としとったけど」
 こちらがたいして興味を抱いていないように振る舞ってみせればあっさりと手の内を明かした。それでいて次の引っ掛かりを撒いておくことも忘れず。
「何人かって?」
「諏佐だけがトモダチじゃあらへんよ?」
 そう言ってふっと唇を歪めた。
「でも今日、鍵持ってくるの忘れてなー、困ってるんやけど」
 その先の言葉を言うことなく。確信犯は胡散臭い笑みで誘いの言葉を促す。
「……うち来るか」
 わかっていながら今吉のシナリオに乗ってやる自分は、最初から駆け引きには負けているのだろう。

 猫は人ではなく家になつくという。
 動物に例えるならという質問では狐やら蛇やら、物騒なものに例えられる今吉だが、犬か猫かという二択では間違いなく猫だと自分は思っている。
 気ままなところとか糸目なところとか気分屋なところとかこちらの誠意をするりとかわしていくところとか人肌恋しいときだけ都合よくこちらに擦り寄ってくるところとか。それまでずっと可愛がっていたのに、ある日突然姿を眩ますところとか。
 拘るわけではないが、一緒に過ごした三年間はなんだったんだろう。なついていたのは自分にじゃなかったとか。それとも猫というには策士すぎるあの男は三年かけて壮大な仕込みでもしていたんだろうか。もしそうなら純粋に尊敬の念を覚える。卒業後のことまで視野にいれて自分と付き合っていたのだとしたら、あまりの計画性に溜息が出そうだ。将来は何かのプランナーか予言者にでもなればいい。

「あ」
 思い出したように、かと思えば心底わざとらしく、立ち止まった今吉が声を上げた。ちょうどアパートに向かう最後の曲がり角を曲がったところだった。
 ふと振り返る。ほら、と差し出されたのは今吉の指の先でぶらりと揺れる、ボールチェーンに繋がれた鍵。
「合鍵、持っとったわ」
 にやにやと展開を見守る今吉。ふむ、と一瞬思案したあと、それをなに食わぬ顔で奪い取って踵を返す、通り過ぎた数メートル前のコンビニのゴミ箱にシュート。
「ひっど」
「お前に合鍵なんか渡す野郎が悪い」
「ヤマザキくんええ人やったのに……」
「俺は合鍵なんか作ってやんないからな」
「ええーそら困るわー」
 そう嘯く横顔はちっとも困ってなんかいない。どこか嬉しそうにすら見えると思ってしまう自分も大概末期だということだろうか。まあいい、それなら家にも人にもなつかせてやるまでのことだとひとりで結論づけた。
「髪切れよ」
「しゃあない、諏佐が言うなら切ったるわ」
 因みに自分は猫派だ。

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