自分のことを本当にわかってくれる人なんていなかった。
いつからかわからない、けれどなにかに見切りをつけた。見切りをつけたら楽になった。苦しくなくなった。代わりに、どんどんからっぽになっていった。
昔から、周りよりも少し物覚えと見目が良かった。でも両親はそれを鼻にかけるようなことはなかったし、そんな二人に育てられたから自分もなにも特別なことなんてないと思っていた。ずっとそう信じていた。そしてそれはある日突然瓦解した。
自分も周囲も同じとわかってほしかった。同じように悩むこともあると、ただ、みんなと同じように大変だねと、大丈夫?と言ってほしかっただけだった。けれど返ってくる言葉は期待とは程遠いもので、何を言っても、全然そんなことないだとか心配することなんてなにもないよだとか黄瀬くんはいいじゃんだとか、そんな拒絶だけだった。たとえそれが人より少し秀でているということであっても、差異があるということに変わりはない。彼ら彼女らにとって自分は異質な存在で、ただなにかが少し違うというだけで受け入れられない、それだけでつまはじきにされる外野だった。みんなは内側、自分だけ外側。同じところにいると思っていたのは自分だけで、本当は周囲の誰もそんなことは望んでいなかった。
違うのに。そうじゃないのに。わかってもらおうとしたところで最初から理解を拒否している人に何を言っても無駄だ。不毛。エネルギーの浪費。結局全員打算で生きている。損得とか利害とか、考えていないふりしてみんな必死に計算しているんだ。そう思った。思ったら急にすべてが薄っぺらく見えて、もどかしさを感じなくなったかわりに確実になにかひとつを手放した。
悲しいかなモデルという仕事は自分にぴったりで、だってレンズに向かって微笑みさえすればよかった。それは諦めてしまった自分にはとても簡単なことだった。割り切ったら苦しいことなんてなにもなかった。でもいつも、心のどこかで、煮え切らないものを抱えていた。見ないようにしても、言葉にしなくても、自分の中にあるものはなかったことになってはくれなくて、それは誰にも気付かれないくらい深くでいつでもきしきし軋んでいた。
だから、熱中できるものを探した。吐き出す先がほしかった。完全に自分の上を行く、がむしゃらに目指すことのできるひとを探していた。そうやって始めたバスケは本当に楽しくて、お腹の底からエネルギーが沸き上がってくるような感じがした。もう何年も感じたことのない感情だった。すごいと思うひとはあの学校にはたくさんいた。全然敵わない、それで笑って自分なんかまだまだだって言ってくれる、それが嬉しかった。他人の中で、はじめて、ちゃんと素の自分のままで生きている気がした。
それまで、自分のことを本当にわかってくれる人なんていなかった。
だからはっとした。黄瀬君はひとが好きなんですね。なんでもないことのように、さらりと口にしたそのひとは、補足するように、もしひとが嫌いだったら、そんなに飲み込みは早くなりませんと言った。衝撃的だった。そんなふうに見てくれているひとがいるなんて思いもしなかった。立ち止まった自分の数歩先を行く背中に、なにか言いたくて、言いかけて、でも、そのまえにどうかしましたかと振り返ってしまったから、結局なにも言えなかった。
レギュラーになってからはもっと楽しくて、毎日疲れて動けないくらい練習して、それでも前なんかより全然良かった。突然世界が反転したみたいに思えた。それくらい楽しかった。そして、やっぱり突然、全く変わらないままのくだらない現実に引き戻された。アイツ、ずっと青峰に勝てないらしいじゃん。思ってたよりたいしたことないな。ざあっと、耳の奥で血流が聞こえた。くだらない。ただの僻み。馬鹿らしい。取り合う価値なんかさらさらない。陰でしか言えないくだらない奴ら。――そんな、たいしたことないオレにも勝てないくせに。
反転したと思った世界は、本当は少しも変わってなんていなかった。やっぱりくだらない。異物を排除することに躍起になって、必死に自分の損得を計算して、表面上は仲良くして。でも、もう弾かれていた昔とは違う。自分は自分の仲間を見つけた。わかってくれるひとを見つけた。今はこっちから線を引けるようになった。もう外側じゃない。あっちが外側、こっちが内側。
気付いた頃には、自分も「キセキの世代」と呼ばれるようになっていた。だから安心した。ここではもうひとりじゃなかった。
「なんで……全中の決勝が終わった途端姿を消したんスか」
わかってくれる人ができた。ここではもうひとりじゃない。そう思ってた。信じてたのに。
「わかりません」
だったら、どうして。ここしかないじゃないか。オレ達みんな、ここにしか仲間はいないじゃないか。他に本当にわかってくれる人なんかいないじゃないか。
「あの時、ボクは何かが欠落していると思った」
そんなこと知ってたよ。でも、最初からみんなどこかからっぽだったじゃないか。だけど一緒にいなかったらまたひとりになるじゃないか。
「スポーツなんて勝ってなんぼじゃないスか!それ以上に大切なことなんてあるんスか!?」
欠落していても、歪なかたちでも、そうするしかなかったじゃないか。勝たなかったら、あそこにいられなかったじゃないか。だから、不安定な均衡の上で勝ち続けるしかなかったじゃないか。そうしなかったら、やっと見つけた居場所から、また弾き出されてしまうじゃないか。本当にオレ達を理解できるのはオレ達しかいないのに。他とは違うのに。他とは一緒にはなれないのに。
それなのに。
あの頃は嫌いだったバスケが、今は楽しくてしょうがないというような。そんなふうにあいつのことを話さないでよ。そこにいるのはオレ達のはずなのに。君はオレをわかってくれたのに。君はオレを見てくれたのに。気付いてくれたのに(――嘘、本当はもっと前から気付いてる)
「……やっぱわかんねっスわ」
昔と被る姿を。それを火神に重ね合わせて、そうやって、替わりにしているんじゃないのか。どう足掻いたところで、代用品の光を探したところで、あのひとに敵う人なんかいないって、本当はわかってるくせに。
小さな背中。泣いたのかどうかさえわからない。自分がそこにいると、気付いていたのかどうかさえ。やっぱり何も言えなかった。いつだって、背中を追い掛けるだけで。ただ。
(――青峰君……っ)
ただ、あのときの、苦しげに染み出した悲痛な声が。今もオレを縛る。多分、君のことも。
あのとき、震わす肩に触れることなんて誰にもできなかった。あのとき、確かに君から零れ落ちたなにかを埋め合わせることなんて誰にもできなかった。ひとりになった君を、ひとりだったオレはずっと見ていたけれど。だからこそわかっていた。知っていた。するりと、手の中から摺り抜けていってしまう。本当にほしいものは。ずっと求めていたものは。
だから、言わずにはいられなかった。
「いつか……決別するっスよ」
結局のところ、やっぱり戻る場所はあそこにしかない。本当は薄々感じているだろうに。だからこそずっと、もう戻らない影を追っている。その果てにはなにもないのに。いや、いつかあらわになる決定的な相違しか。例え同じだったとしても、だからこそ、末路は変わらない。いくら求めても、いくら探しても、君の光はもう帰ってこない。助けにきたのはあのひとじゃない。全てが、変わってしまった。そして多分、そんなことは十分すぎるほどにわかっているのだ。
君は新しい仲間を見つけた。それで受け入れられた。離れてしまったひとはもう戻らない。誰もいない、また自分ひとりになった。最初に戻っただけ。違う、今までもずっとひとりだった。振り返ってくれたけど、それはすごく嬉しかったけど、でも、それだけ。君はまたすぐに前を向いてしまう。本当に見つめる先はこっちじゃなかった。それに気付いて、だから、いつからか気持ちを押し込めるようになった。いつもどこかで感じていた孤独感を感じないふりをした。届かないとわかった瞬間にぱっと手を離して諦めて、へらりと笑って、そうして自分自身を欺くために。置いていかないでひとりにしないで、そう、今にも零れそうになる言葉を封じ込めるために。
「それじゃ……オレはそろそろ行くっスわ」
悲しいかなモデルという仕事は自分にぴったりだった。心の奥では全然違うことを抱えていても、微笑むことができた。それは諦めてしまった自分にはとても簡単なことだった。
「最後に黒子っちと一緒にプレーもできたしね」
そう、だから。自分で自分に蓋をして、ただ、笑ってみせた。
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